ゲイロード・ペリー
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ゲイロード・ペリー(Gaylord Jackson Perry、1938年9月15日 - )は、元メジャーリーグの投手。右投げ右打ち。アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身。スピットボール(不正投球)で有名な投手。兄のジム・ペリーも元メジャーリーガー。
1958年、サンフランシスコ・ジャイアンツと契約し入団。1962年4月14日にメジャーデビューし、1983年に45歳で引退するまで22シーズンで8球団を渡り歩いた。
1972年にはアメリカンリーグのクリーブランド・インディアンスで、1978年にはナショナルリーグのサンディエゴ・パドレスでサイ・ヤング賞を受賞し、史上初の両リーグでの受賞者となった。また兄のジム・ペリーもミネソタ・ツインズ時代の1970年に受賞しており、ニークロ兄弟(フィル・ニークロ&ジョー・ニークロ)以来史上2組目の兄弟受賞者となった。
1977年、サイ・ヤング、ジム・バニングに次ぐ史上3人目の両リーグ100勝を達成。1978年10月1日のロサンゼルス・ドジャース戦で、ウォルター・ジョンソン、ボブ・ギブソンに次ぐ史上3人目の通算3000奪三振を達成。1982年5月6日には、ニューヨーク・ヤンキース戦で史上15人目の通算300勝を達成した。また、1966年から1978年まで13年連続で15勝以上を挙げた。
1991年に野球殿堂入り(殿堂入りのペリーの胸像は、もっとも長く在籍したジャイアンツの帽子を被っている)。2005年に自身の背番号『36』がサンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番となった。
通算成績 777試合登板 314勝265敗11セーブ 3534奪三振(歴代8位) 防御率3.11
[編集] スピットボール
- メジャーを代表するスピットボーラーであり、ボールにワセリンやポマードをつけ、時には紙ヤスリで細工して投げていた。しかし誰も証拠をつかめなかったため、引退の前年の1982年8月23日に考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場になったことはなかった。
- 1964年から2年間サンフランシスコ・ジャイアンツでチームメイトだった村上雅則も「ペリーはスピットボールを投げていた」と証言している。
[編集] エピソード
- サンフランシスコ・ジャイアンツ在籍時の1968年9月17日、セントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成した。しかしジャイアンツは翌日の試合で、カージナルスのレイ・ウォッシュバーンに逆にノーヒットノーランを達成されてしまった。
- バッティングは苦手で、メジャー2年目の1963年には「俺がホームランを打つ前に人類は月へ行くだろう」と語っていた。事実、1969年7月20日午後4時17分にアポロ11号が月面に着陸し、その直後に初ホームランを打っている。(通算では6本打った。)
- インディアンス時代の1973年7月3日、当時デトロイト・タイガースに在籍していた兄のジム・ペリーと一度だけ投げ合ったことがある。タイガースが5対4で勝利し、弟のゲイロードが敗戦投手となった。
- 自伝『私とスピットボール』を出版した(新聞記者Bob Sudykとの共著)。
- 引退後にワセリンを販売する会社を起こした。