オリェーク・アントーノフ
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オリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフ(ロシア語:Олег Константинович Антоновアリェーク・カンスタンチーナヴィチュ・アントーナフ、1906年1月27日(グレゴリオ暦では2月7日) - 1984年4月4日)は、ソ連の航空機設計者。
アントーノフは1906年、トロイツコエに生まれた。1930年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)のカリーニン工科大学を卒業し、1946年に航空機設計局の長官となった。1956年にアントノフ設計局を設立し、ここで超大型輸送機An-225ムリーヤをはじめ数々の飛行機を設計した。
1952年にソビエト連邦国家賞を、1962年にレーニン賞を受賞したほか、レーニン勲章も二度受勲した。1966年に社会主義労働者英雄称号を受け、1968年からソビエト連邦科学アカデミー会員となった。また、ソビエト連邦最高会議代議員も務めた(第5期から第7期)。
アントーノフは、グライダーや飛行機の設計に関して多数の著書がある。