エリック・ヒルマン
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エリック・ヒルマン(John Eric Hillman, 1966年4月27日 - )は平成期(1990年代後半)の千葉ロッテマリーンズ、読売ジャイアンツに所属したプロ野球選手。アメリカインディアナ州出身。身長208cm(日本プロ野球に所属した選手ではジェイソン・ターマンと並び最も高い身長)。左投左打。
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[編集] ロッテ時代
1995年ロッテに入団。第一期バレンタイン政権下で1年目から12勝を挙げ、チームの2位躍進に貢献。1996年には14勝を挙げ、同僚の伊良部秀輝と最優秀防御率のタイトルを、僅差で争う好成績でベストナインに輝いた。
身長208cmながら速球はあまり速くなく、その長身から投げ下ろすカーブやスライダー、スクリューなどの変化球を武器に相手打者を次々と打ち取っていった。また、1996年の15死球が示すように相手打者の内角も思い切って突いていく投球スタイルであった。当時のヒルマン、伊良部、小宮山悟の先発3本柱は、まさに球界屈指の存在だった。
しかし1996年シーズン終盤、伊良部のメジャー流出を防ぐ目的で、ロッテ球団がタイトルを伊良部が獲得できるように投手陣の登板スケジュールを調整したことに不満を抱き、オフに退団することとなる。
オールスターゲームでは5回終了後にキップ・グロス(日本ハム)とともにグラウンドキーパーの衣装で登場するなど茶目っ気があり、また1996年シーズン開幕直後のオリックス戦では星野伸之との投手戦に0-1で敗れた後、ヒーローインタビューを受けていた星野の元に歩み寄ってお互いの健闘を讃え合うシーンも見られるなど、ロッテ時代のヒルマンはファンにも人気が高かった。
[編集] 巨人時代
ロッテ退団後、年俸2億5000万円の2年契約で巨人へ移籍。即座に左肩を故障し、1997年は僅か2試合の登板(6イニング)にとどまる。この年に肩の手術を行い、翌1998年のキャンプで数回だけ良いピッチングを披露するが、「肩に違和感がある」という理由で再度離脱。仮病説が囁かれる中、「左肩に小錦が乗っているようだ」と球史に残る迷言で弁明、その後も「肩に違和感」というフレーズを連発して登板拒否を繰り返した。2軍落ちしてからは練習もそこそこに切り上げ、昼にはサッサと帰宅していたことから「昼マン」とも呼ばれていた。
結局、この年は1度も登板せず、堀内ヘッドコーチの怒りを買ってシーズン途中で解雇となる。2シーズンに満たない在籍期間で、しかも登板数たったの2試合、投球回数6回で5億円を受け取りながら、「俺をミッチェルやグリーンウェルと一緒にしないでくれ」とマスコミに反論し、巨人退団決定後には「巨人に復帰するのが夢だ」とコメント。最後は「肩が治ったら巨人の入団テストを受けに帰って来る」という捨て台詞を吐いて日本を去った。
[編集] 関連項目
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球回数 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
1995年 | ロッテ | 28 | 12 | 9 | 0 | .571 | 197 1/3 | 49 | 8 | 121 | 63 | 2.87 |
1996年 | ロッテ | 29 | 14 | 9 | 0 | .609 | 213 1/3 | 46 | 15 | 119 | 57 | 2.40 |
1997年 | 巨 人 | 2 | 0 | 1 | 0 | .000 | 6 | 2 | 1 | 3 | 2 | 3.00 |
1998年 | 巨 人 | 0 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― |
通 算 | ― | 59 | 26 | 19 | 0 | .578 | 416 2/3 | 97 | 24 | 243 | 122 | 2.64 |