エディ・ギャラード
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エディ・ギャラード(Julian Edward Eddie Gaillard III , 1970年8月13日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身。プロ野球選手(投手)。
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[編集] 来歴・人物
フロリダ州サザン大から1993年にデトロイト・タイガースに入団。1997年にメジャーに昇格し、1998年にタンパベイ・デビルレイズに、1999年オフにシンシナティ・レッズに移籍。
2000年シーズンはじめに中日ドラゴンズに入団。当初はゲイラードと表記されたが、登録名は本来の発音に近いギャラードとした。前年に引退した宣銅烈の後を継ぐ抑え投手として、150km/hを超える速球を武器に安定した投球を見せ、オールスターゲームにも出場する他、36セーブポイントを挙げて、史上初めて1年目の外国人投手として最優秀救援投手のタイトルを獲得した。しかし、9月24日の巨人戦では、マジックが1と迫っていた巨人に4点差から江藤智の満塁ホームランを浴び、続く二岡智宏にはサヨナラ優勝決定HRを打たれて敗戦投手となった。2002年にも35セーブポイントで最優秀救援投手を獲得。
2003年4月には148試合目で通算100セーブを挙げる最速記録を樹立した。しかし、大塚晶則の入団により出場機会が減少。不調に加えて起用法をめぐる首脳陣との対立もあり、7月にウェーバー公示で横浜ベイスターズへ移籍。しかし2004年に佐々木主浩が復帰したことにより起用法が一定せず、また右肘を痛め、あまり活躍できなかった。6月に手術のため帰国、そのまま退団。2005年からはコロラド・ロッキーズでマイナー契約を結んでプレー。2006年にはフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。
非常に誇り高い選手で、山田久志元中日監督曰く「プライドが服を着て歩いている」ほど、自分のポジションに誇りと自信を持っていた。 牛島和彦、郭源治、与田剛、宣銅烈、岩瀬仁紀など、球界を代表するクローザーが時代時代に存在する中日において、2006年現在郭、岩瀬に続いて球団3位の通算112セーブの記録を保持している。
[編集] 日本での通算成績
- 194試合 6勝 9敗 120セーブ 防御率2.90
[編集] タイトル・表彰
- 最優秀救援投手2回(2000年、2002年)