エアシャカール
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2000年11月26日 東京競馬場 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1997年2月26日 |
死没 | 2003年3月13日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | アイドリームドアドリーム |
生産 | 社台ファーム |
生国 | 日本(北海道千歳市) |
馬主 | (株)ラッキーフィールド |
調教師 | 森秀行(栗東) |
競走成績 | 19戦4勝 |
獲得賞金 | 5億4505万3000円 |
エアシャカール(英語表記Air Shakur、香港表記空中神宮)は日本の競走馬。主な勝鞍は、皐月賞・菊花賞で2000年のクラシック二冠馬である。
デビュー当時はエアシャガールと名前を間違えられることが多かった(当初はエアスクデットという馬名で登録されたが、後にエアシャカールに変更)。早くからクラシック候補として注目はされていた存在ではあったが、その激し過ぎる気性に難点があったうえに、右へ右へとササる癖もあり乗り手から見れば大変乗り難しい馬であったようである。菊花賞は鞍上の武豊の手腕による所が大きかった。武は同馬のあまりの気性の激しさについて、「頭の中を見てみたい。」と発言したこともあるほど。
クラシック二冠を制し、東京優駿(日本ダービー)をハナ差わずか7cm差で逸している事から「準三冠馬」と呼ばれていた時期もあった。半姉に優駿牝馬(オークス)2着のエアデジャヴー、秋華賞優勝馬エアメサイアは姪にあたる。
[編集] 戦績
デビューは1999年10月12日東京競馬場の新馬戦。ここは5着に敗れるが、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げる。その後ホープフルステークスを勝ち2歳時は4戦2勝。
3歳になり弥生賞2着を経て皐月賞に出走。ダイタクリーヴァにクビ差競り勝ち、初GI制覇。東京優駿(日本ダービー)ではアグネスフライトの前にわずか7cmの差で惜敗。その後、通常の3歳牡馬トップクラスは秋に備えて休養に入るところであるが、エアシャカールはアスコット競馬場で行われるキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに果敢に出走。モンジューの5着敗れる。秋は神戸新聞杯を経由して菊花賞に出走。武豊の好騎乗もありトーホウシデンをクビ差退け、見事に皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。 その後はGIIでは3戦連続2着、GIでは掲示板には載れるものの勝ち負けできないという競馬が続き、2002年の有馬記念9着を最後に引退した。
2001年秋に輸送肺炎を患ったものの、古馬となってから9戦中6戦は掲示板(うち3連対)に載っていることからも、決して能力が劣る訳ではないのだが最後の決め手を欠き勝利を挙げる事は出来なかった。
[編集] 引退後
競走馬引退後は種牡馬となりブリーダーズスタリオンステーションに繋養されていたが、引退間もない2003年3月13日放牧中の事故により安楽死の処置が取られた。残された子供は4頭(4頭共に牝馬)。2006年10月24日、その残された4頭のうちの1頭、エアーミラクルがホッカイドウ競馬で勝ち鞍を挙げ、エアシャカール産駒の初勝利となる。
[編集] 血統表
エアシャカールの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/アウトブリード | |||
父
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
Halo 1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah 1953 | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower 1964 | Montparnasse | ||
Edel Weiss | |||
母
*アイドリームドアドリーム I Dreamed a Dream 1987 鹿毛 アメリカ |
Well Decorated 1978 黒鹿毛 アメリカ |
Raja Baba 1968 | Bold Ruler |
Missy Baba | |||
Paris Breeze 1971 | Majestic Prince | ||
Tobor Jet | |||
Hidden Trail 1975 鹿毛 アメリカ |
Gleaming 1968 | Herbager | |
A Gleam | |||
Tobacco Trail 1969 | Ribot | ||
On the Trail F-No.4-r |