ウェイド・ボッグス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェイド・ボッグス(Wade Anthony Boggs , 1958年6月15日 - )は、元メジャーリーグの内野手(三塁手)。現役時代のほとんどをボストン・レッドソックスに所属するが、その後ニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズ制覇を達成。タンパベイ・デビルレイズで引退。右投げ左打ち。
ブルックス・ロビンソンに次ぐ12年連続で三塁手としてオールスター出場を果たす。他にはマイク・シュミット、ジョージ・ブレットもオールスター12回出場を果たしているが、シュミットの場合は最後の1年は一塁手としての出場であり、二人とも連続ではない。
1982年にメジャーデビューし打率.349を記録するも、規定打席不足のため首位打者には至らなかったが、翌1983年を皮切りに合計5回首位打者に輝く。メジャーデビューから1988年までに打率が.350に達しなかったのは1回のみであり、1983年から1989年まで7年連続でシーズン200安打以上を記録する。同時に7年連続で100得点以上、40二塁打を記録する。同時期に活躍した安打製造機の別名で呼ばれたトニー・グウィンと比較すると、グウィンは悪球でも安打する技術を持っていたのに対して、ボッグスは悪球には決して手を出さない選球眼の持ち主であった。
1992年に打率が.259と急降下するが、シーズン終了後ニューヨーク・ヤンキースと契約し、移籍する。翌年から4年連続で打率3割を達成する。また、同時期に2度のゴールドグラブ賞を獲得する。1996年にはレッドソックスで達成できなかった悲願のワールドシリーズ制覇を体験する。
その後衰えが見られるようになり、1997年には先発から外れることが多くなる。現役最後の2年間はタンパベイ・デビルレイズに所属し、最後のシーズンとなった1999年に通算3000安打を自らホームランを打って達成した。その後間もなく膝を故障したため、引退を表明した。通算打率は.328、通算3010安打を記録。
1997年には39歳ではじめてメジャーのマウンドに登り、ナックルボールで1イニングを無失点に抑えて話題になる。
卓越した打撃術と共に迷信家としても知られ、毎試合前に鶏肉を口にし、毎日同時間に起床、ちょうど150本のゴロを練習で受け、必ず午後5時17分に打撃練習に入り、午後7時17分にダッシュを行っていた。「チキン・マン」というニックネームはこれに由来する。また、守備位置とベンチの往復には必ず同じルートを通り、毎打席の前に必ず"Chai"(ヘブライ語で「命」の意)という言葉を地面に書いていた。
2005年に野球殿堂入りを果たした。タンパベイ・デビルレイズ在籍時の背番号「12」が現役引退の翌2000年に永久欠番に指定されている。