インドネシアの国旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インドネシアの国旗。上に赤、下に白のデザインはモナコの国旗と全く同一。但し、縦横の比率は違う。
インドネシア国内では "Sang Merah Putih" と表記される。Merah Putih が「紅白」を意味し、赤は勇気と情熱を、白は真実と聖なる心をあらわす。Sang はヒンドゥーの神や王、英雄の名前など、尊敬の対象となるものの前に置かれる敬称である。
目次 |
[編集] 由来
この国旗の由来を同国独立前の民族主義運動期にさかのぼれば、オランダ領東インドから宗主国オランダに留学していた留学生たちの団体、インドネシア協会が、1923年の会合の席上で、同協会の旗としてこの紅白旗を採用し(そのときは旗の中央に水牛の頭部が描かれた)、さらに帰国した彼らを含めて1928年5月に結成されたインドネシア国民党の党旗として採用されたものであった(このとき旗の中央には野牛が描かれた)。こうした民族主義運動の中で紅白旗は民族旗としての地位を獲得し、インドネシアの独立後、正式に国旗として採用された。
インドネシア社会では、さらにこの紅白旗の由来は13世紀に興ったマジャパヒト朝期にまでさかのぼると考えられており、また、16世紀のマタラム朝期には祝日に紅白旗を掲げる習慣であったと伝えられている(以上、永積、1980年、237-240頁、253-254頁を参照)。
こうした歴史的由来からの説明のほかに、ジャワにおける民間習俗からもその起源が説明されることがある。すなわち、赤が男性のエネルギーを、白が女性の純潔を象徴しているというものである。また、赤と白の2色は、古くから太陽と月を表す色としても親しまれており、赤が自由と勇気を、白が正義と純潔を表すとされる。
[編集] 備考
- 日本国内では、第二次世界大戦とその後の独立戦争でインドネシアの独立に寄与した日本の日章旗の影響を受けている、との理解があるが、上記のような由来を踏まえると、かならずしも適切な理解とはいえない。日本がインドネシアを占領下に置いた日本軍政期は、その最初期と末期以外にはインドネシアの紅白旗を掲げることが禁じられ、軍政への協力を求められた民族主義者たちに失望と不満をあたえることになった(インドネシア国立文書館編著、1996年、第2章を参照)。
- 独立記念日に国旗を掲揚するときは、独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表し、インドネシアの服装の男女2名と日本兵の服装をした1名で掲揚する。
[編集] 参考文献
- インドネシア国立文書館(編著)、倉沢愛子・北野正徳(訳) 『ふたつの紅白旗 インドネシア人が語る日本占領時代』、木犀社、1996年(Arsip Nasional Republik Indoneisa, Di Bawah Pendudukan Jepan : Kenangan Empat Puluh Dua Orang yang Mengalaminya, 1988)
- 冨尾武弘「国旗」、石井米雄(監修)、土屋健治・加藤剛・深見純生(編集委員) 『インドネシアの事典』、同朋舎出版、1991年
- 永積昭 『インドネシア民族意識の形成』、東京大学出版会、1980年