アマルナ文書
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アマルナ文書(アマルナもんじょ、Amarna letters)は、大部分が楔形文字によるアッカド語で書かれた粘土板の文書であり、中エジプトのアマルナにおいて出土したことからこの名で呼ばれている。紀元前14世紀頃のオリエント世界の国際関係を知る上で、重要な史料となっている。
1887年、この文書はエジプト人の農婦によって偶然に発見された。発見した農婦はその後、秘密裏に文書の大部分を発掘し、古美術品のマーケットでそれらを売りさばいた。
1891年、考古学者ウィリアム・ピートリーは21片の粘土板の破片から修復を試み、また同年の発掘調査により、アテン大神殿の南にある王の記録庫 (Bureau of Correspondence of Pharaoh) から出土したものであることが確認された。その後、カイロの東洋考古学研究所の所長エマイル・チャシナットがさらに24片以上の破片を発見し、またエジプト各地の博物館にも破片の存在が確認された。
現在存在が確認されている破片は379片であり、そのうち199片がベルリン博物館、83片が大英博物館、50件がカイロ博物館に所蔵されている。