アサデンコウ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1964年2月29日 |
死没 | 不明(1991年以降) |
父 | シーフユリユー |
母 | ニユーベツシー |
生産 | 千葉新田牧場 |
生国 | 日本(千葉県成田市) |
馬主 | 手塚栄一 |
調教師 | 藤本冨良 |
競走成績 | 9戦6勝 |
獲得賞金 | 2426万8600円 |
アサデンコウは、日本の競走馬。第34回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。同期にはリユウズキ(皐月賞・有馬記念)・ニットエイト(菊花賞・天皇賞(秋))が居る(因みに、両者共に矢倉玉男厩舎所属)。
[編集] 戦績
※馬齢は旧表記とする。
3歳時は、2戦し未勝利に終わったが、年が明けて4歳になると本格化し、5連勝で皐月賞(厩務員スト長期化のために、この年はNHK杯・桜花賞と同日開催)に挑んだ。連勝中に弥生賞等を勝っており1番人気に推されたが、スタートの出遅れ(このレースが乗り替わり初戦であった増沢末夫は後に自身の著書で、出遅れは私のミスで次走の乗り替えも意識したと語っている)、厩務員ストが原因の体調不良(最も、アサデンコウだけで無く大半の出走馬は体重大幅減での出走だった)で7着に敗退した。
5番人気となった中1週での東京優駿は、スタート2ハロン目がハロンタイム10秒フラット(新潟競馬場に直線コースが出来るまで抜かれなかった程の早いタイム)となる乱ペースの中、直線で同厩舎のヤマニンカップと共に抜け出し、骨折しながらも後続を振り切り1着でゴールした(この激走劇を称え、『名馬アサデンコウの歌』が作られた)。レース前まで好天であったが、直前に大粒の雨が降り始め、雷が鳴り響いたため、「電光(デンコウ)」を味方につけた勝利と言われた。また、後に鉄人と呼ばれる程の名騎手となる増沢末夫にとっては、騎手生活10年目で初めての重賞制覇でもあった。
しかし、アサデンコウは骨折のため表彰式に参加できず(馬運車で退場した日本ダービー優勝馬はアサデンコウだけ)、関係者のみが参加した、肝心の馬がいない記念写真が今に残っている。
その後アサデンコウは長期の休養に入ったが、結局この骨折が元で再起できずに引退した。引退後は種牡馬となったが活躍できず、1975年馬種改良のためタイ王国に寄贈された。その後タイ王国の政変により行方不明となる。
[編集] 年度別競走成績
- 1966年(2戦0勝)
- 1967年(7戦6勝)
- 1着 - 東京優駿、弥生賞
[編集] 血統表
アサデンコウの血統 (プリンスローズ系/Swynford5×5=6.25%) | |||
父
*シーフュリュー Si Furieux 1957 青毛 |
Sicambre 1948 黒鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose |
Biologie | |||
Sif | Rialto | ||
Suavita | |||
Hell's Fury 1949 |
Dante | Nearco | |
Rosy Legend | |||
Sister Sarah | Abbots Trace | ||
Sarita | |||
母
ニユーベツシー 1949 栗毛 |
トシシロ 1940 栗毛 |
*ダイオライト | Diophon |
Needle Rock | |||
月城 | Campfire | ||
*星旗 | |||
プリユー 1944 栗毛 |
*プリメロ | Blandford | |
Athasi | |||
ユーターピーノ一 | *レイモンド | ||
ユーターピー F-No.4-m |