An-2 (航空機)
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An-2(アントノフ2;ウクライナ語・ロシア語:Ан-2アーン・ドヴァー)は、第二次世界大戦後の1947年にウクライナのアントノフ設計局で開発された複葉の軽飛行機である。ロシア語の愛称は「ククルーズニク」(Кукурузник)であった。北大西洋条約機構(NATO)は、識別のためのNATOコードネームとして「コルト」(Colt)の名で呼んだ。
[編集] 概要
An-2は、ソ連で需要の高かった農業や林業用の航空機として、OKA-38アーイストやPo-2の後継機として開発された。初めて飛行したのは1947年のことであったが、1992年まで生産されており、およそ17000機という大量生産された。また機体価格も中古機でおよそ3万USドルという低価格であり、多くの国家の政府や民間人によって運用されており、21世紀になった現在でも多くの発展途上国で現役である。また所謂先進国でもその古典的な機体特徴からパラシュート降下用や航空ショーの需要が増加しているほか、航空機コレクターが蒐集している機体も多い。ただし、西側政府は安全性に疑問があるとして、アメリカ合衆国では1993年以降に輸入したAn-2に対して空港から300マイル以内の飛行に限定されているという。
生産はソ連では1960年までにおよそ5000機が生産された時点で終了したが、その後運航に必要な交換部品は継続して生産されていた。またポーランドのPZL社では1992年までAn-2の量産が継続されていたほか、中華人民共和国でも石家荘Y-5としてライセンス生産が行われた。
機体は、未整備の滑走路で離発着できるほか、整備性に優れており信頼性が極めて高いとされている。また、アントノフ設計局によってエンジンをターボプロップに換装し流線型に改造したAn-3も存在する。
このAn-2は12名の乗客を運ぶことが出来る旅客機のほか、落下傘部隊を運搬する軍事用、農薬散布等の農業用といった多目的に使われたほか、未整備の滑走路における離発着にも適しており、極限の環境において運用できるタイプが作られるなど様々な運用がなされていた。そのため様々な派生型が存在している。また現役の複葉機では最大の機体でもある。
また、ヴェトナム戦争では北ヴェトナムのヴェトナム人民軍機が実戦に投入され、本来の輸送任務の他、少量の爆弾を搭載して爆撃任務も行った。クロアチア独立戦争においても、航空戦力が劣勢だったクロアチア軍が「爆撃機」として、時には夜間作戦にも使用していたとされる。
朝鮮民主主義人民共和国では、An-2の中国生産型であるY-5を特殊部隊が運用しているという。同国では、この機体は木製のプロペラとレーダーに映りにくい断面をもつキャンパス生地の翼を持つなど「ステルス性」が持たされており、前線に破壊活動のための特殊部隊をパラシュートで降下させようというものである。またヘリコプターよりも低速で巡航できるためレーダーにトラックが動いているようにしか映らないのではないだろうかという指摘もある。実際に日本でも訓練中の映像が放映されたが、複葉機から降下した落下傘部隊が手榴弾を地上の模擬爆撃機に投げつけるというものであった。