エアボーン
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エアボーン(Airborne)とは、輸送機を用いて行なう戦術の一種である。武装・非武装の輸送機に兵員が分乗し、戦闘機や攻撃機、COIN機の護衛を受けながら敵地に侵入し、パラシュート降下またはグライダーの強行着陸により地上に降りた兵員が迅速に目的地を制圧する。第二次世界大戦中、輸送機の発達と共に大きく発展した戦術であり、正規戦のほか、対ゲリラ戦にも有効な戦術である。第二次世界大戦のほか、朝鮮戦争や第一次インドシナ戦争、第二次中東戦争でも用いられた。
[編集] 利点および欠点
ヘリボーン(Heliborne)と比較した場合、ヘリコプターより輸送機の航続距離が圧倒的に長く、また搭載量も多いため、長距離および重量物を用いた作戦を行うことができる。
欠点としては輸送機そのものが対空攻撃に弱く、敵が対空兵器を多数準備した場合には、輸送機が撃墜されて作戦が失敗することもある。降下する兵員はパラシュート降下操作を習得した者である必要があるため、養成に時間がかかる。降下時の風の影響などにより、兵員・物資の降下範囲が散らばることがある。
[編集] 歴史
実戦でのエアボーンは、第二次世界大戦前半に、ドイツ軍が1940年のベルギーのエバン・エマール要塞攻略に用いたのが始まりである。この時、ドイツ軍はグライダーを用いて要塞上に降下している。第二次世界大戦時には、ヘリコプターは輸送能力が低すぎるため、輸送機からのパラシュート降下のほかに、グライダーによる強行着陸もよく用いられた。しかし、ドイツ軍の空挺部隊は1941年に行われたクレタ島の戦いにおいて、島を占領する戦果を挙げたものの、損害が大きく、この後には大規模な空挺作戦は行われなかった。 日本で有名なものは1942年(昭和17年)1月から2月にかけての、大日本帝国海軍落下傘部隊によるパレンバンなどへの降下がある。油田施設やオランダ軍の飛行場を直ちに制圧し、兵員は後に「空の神兵」と呼ばれた。 第二次世界大戦後半には、連合国側が多用し、1943年のシチリア島上陸作戦のほか、ノルマンディー上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦で用いている。特に、マーケット・ガーデン作戦は3個師団半が空挺降下するという大規模な作戦であった。このほか、ソ連軍もキエフ奪回作戦時に空挺降下を行っている。
その後の朝鮮戦争や第一次インドシナ戦争、第二次中東戦争でも用いられている。しかし、その後は、ヘリコプターの性能が向上し、大規模なヘリボーンが可能となったため、投機性・危険性のあるエアボーン作戦の実施は減少した。それでも1983年のグレナダ侵攻作戦ではアメリカ陸軍レンジャー大隊がポイント・サリネスにパラシュート降下作戦を実施。1989年のパナマ侵攻作戦(Operation Just Cause)ではアメリカ第82空挺師団 第504パラシュート歩兵連隊を基幹とする第82空挺師団第1旅団がトリジョス国際空港において大規模なパラシュート降下作戦を実施した。この作戦の時は空挺戦車部隊、1個中隊(M551シェリダン空挺戦車10輌装備)をパラシュート降下させている。 アメリカのアフガニスタン侵攻において、アメリカのレンジャー部隊が半ば広報目的で夜間降下作戦を行っている。イラク戦争ではアメリカ第173空挺旅団がイラク北部のハリル飛行場にパラシュート降下作戦を実施している。