鶴見俊輔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年6月25日 - )は、文芸評論家、哲学者。九条の会の呼びかけ人の一人。
戦後、『思想の科学』を創刊し、『共同研究 転向』など思想史研究で成果を上げた。都留重人、丸山眞男らとともに戦後言論界の指導的人物。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりである。
1982年に『戦時期日本の精神史』で大佛次郎賞、1990年に『夢野久作』で日本推理作家協会賞、1994年に朝日賞受賞。
早くから大衆文化に着目しており、趣味は漫画を読むこと。漫画評論の先駆けの一人でもある。
目次 |
[編集] 学歴
- 1922年 東京市麻布三軒家町に生まれる、政治家・鶴見祐輔の長男
- 1929年 東京高等師範学校付属小学校入学(同級生には後の文部大臣の永井道雄、後の中央公論社・社長の嶋中鵬二など)
- 1935年 東京府立高等学校尋常科入学
- 1936年 同校退学、東京府立第五中学校(現・東京都立小石川高等学校)編入
- 1937年 府立第五中学校退学
- 1938年 アメリカ合衆国マサチューセッツ州コンコード町ミドルセックススクール入学
- 1939年 ハーヴァード大学哲学科入学
- 1942年 同科卒業、学士論文「ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズム」
[編集] 職歴
- 1948年 京都大学嘱託講師
- 1949年 京都大学人文科学研究所助教授
- 1954年 東京工業大学助教授
- 1960年 日米安保条約決議に抗議し東京工業大学教授退官
- 1961年 同志社大学文学部社会学科教授
- 1970年 大学紛争で同志社大学教授を退任
[編集] 家族
父は鶴見祐輔(前述)で、政治家・後藤新平は祖父にあたる。社会学者である上智大学名誉教授の鶴見和子は姉。鶴見直輔は弟。
英文学者・翻訳家の横山貞子は妻。息子の鶴見太郎は早稲田大学文学部助教授。なお、『ナマコの眼』等で知られる人類学者の鶴見良行は従弟。
[編集] 主な著書
単著
- 『私の地平線の上に』
- 『限界芸術論』
- 『アメリカ哲学』
- 『柳宗悦』
- 『読書のすすめ』
- 『戦時期日本の精神史』
- 『戦後日本の大衆文化史』
- 『大衆文学論』
- 『高野長英』
- 『読書日録』
- 『思想の落とし穴』
- 『らんだむ・りぃだぁ』
- 『夢野久作』
- 『アメノウズメ伝』
- 『書評10年』
- 『期待と回想 上・下』
- 『回想の人びと』
- 『読んだ本はどこへいったのか』
- 『埴谷雄高』
- 『鶴見俊輔集』12巻補巻5巻-全17巻
共著
- 『日本人の世界地図』(長田弘、高畠通敏)
- 『歳時記考』(長田弘、なだいなだ、山田慶児)
- 『ふれあう回路』(野村雅一)
- 『ことばを豊かにする教育』(森毅)
- 『時代を読む』(河合隼雄)
- 『日本文化の現在』(森毅)
- 『旅の話』(長田弘)
- 『思想の折り返し点にて』(久野収)
- 『二十世紀から』(加藤周一)
- 『転向再論』(いいだもも、鈴木正)
- 『グラウンド・ゼロからの出発』(ダグラス・スミス)
- 『戦争が遺したもの』(上野千鶴子、小熊英二)
- 『同時代を生きて』(瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン)
- 『千年の京から「憲法九条」を』(瀬戸内寂聴)
- 『まごごろ』(岡部伊都子)
- 『手放せない記憶』(小田実、編集グループSURE)
- 『日米交換船』(加藤典洋、黒川創)
- 『セミナーシリーズ・鶴見俊輔と囲んで』(井波律子・作田啓一・那須耕介・山田稔・加藤典洋、編集グループSURE)