高木ブー
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高木 ブー(たかぎ ブー、1933年3月8日 - )は、日本のミュージシャン、タレントであり、「ザ・ドリフターズ」、「こぶ茶バンド」のメンバーである。本名は高木 友之助(たかぎ とものすけ)。
東京都豊島区巣鴨出身。20代の頃から70代の現在まで芸名通りの肥満体型をしている。
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[編集] 来歴
- 京北学園卒業。
- 最近になってウクレレ奏者としての面がクローズアップされてきたが、中央大学に在籍していた頃からハワイアンミュージックに造詣を持ち、ユニットを結成した程の腕前だった。東京ガスの採用内定を蹴って芸能界入り。
- 「シャドウズ」「パップコーン」のバンドマン(当時の芸名は高木智之)を経て、1964年ザ・ドリフターズの一員として参加。いかりや長介の著書によると、外見がコミックバンド向きなので新生ドリフにスカウトしたと述べている。
- 「高木ブー」という名前は、「クレージー・キャッツ」のリーダー「ハナ肇」が、「お前は太っているからブーでいいや」という一言で、本名の「高木」に「ブー」を組み合わせて付けられた。しかしいかりや説によれば、「ブーたん」と言うあだ名から、ハナ肇より「たんを取れ」と言われブーになったとのこと。
- 1984年9月14日、「全員集合」のリハーサル中にアキレス腱を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱している。
- フジテレビのバラエティ番組「ドリフ大爆笑」シリーズのカミナリ3兄弟シリーズでの「雷様(角付きアフロヘアーを被った緑色の全身タイツ姿)」が特に有名で、NHK教育テレビの番組でウクレレを教えたときも雷様の格好だった。
- 1991年水戸黄門第20部にゲスト出演している。前年の1990年には仲本工事が左甚五郎役でゲスト出演している。
- ウクレレ奏者としての活動も盛んで、CDアルバム「レット・イット・ブー」をはじめ、2002年にはモーニング娘。とのコラボレーションでハワイアン風のCD、2004年10月に「美女とYA!BOO」をリリース発表している。
- 2002年、明治乳業・VAAMのCMに出演し、マラソン選手の高橋尚子と共演した。
- 2003年6月 - 7月放送のNHK総合テレビ「連続ドラマ 女神の恋」で農場経営者の役を演じた。
※デビューから暫くの間公式発表していた年齢は6歳ぐらいサバを読んでおり、最近の文献やテレビ番組でも年齢に矛盾が見られる場合がある。
[編集] エピソード
- 「全員集合」の冒頭コントで、激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか消えてしまうことが多く、それ以外でも体型を生かして笑いを取る場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。その結果か、何もしない、何もできない無能の代名詞として扱われる事も多く、筋肉少女帯から自らの無能ぶりを高木に喩えたシングル「元祖高木ブー伝説」がリリースされて話題となった。この時事務所側からクレームがついたが、高木本人が「若い奴がバカやってるんだから許してあげようよ」と鷹揚な対応を見せリリース可能となった。後に筋肉少女帯のライブを訪れたり、セッションをするなど交流を持った。
- 上記の通り無能なイメージがあったが、ドリフのリーダーのいかりやは自分の方から高木をクビにしようと思った事は一度も無かったと著書の中で語っている。
- 特技は居眠りであり、どんな状況でも眠れる体質となっている。ドリフターズが駆けだしの時期に日本テレビの番組「歌え一億」のスポンサーとの会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が打ち切りになった事がある。後にピックウィック症候群(肥満による重度の睡眠時無呼吸症候群)が原因である事がわかった。
- 加藤の証言によれば、自分が最年長だからいかりや没後の現ドリフリーダーであると勝手に宣言していると言う。しかし、世間は年齢こそ(いかりやから数えて)4番目であるものの最古参の加藤が新リーダーと見ている。両方とも真剣な話ではなくシャレと考えるべきだろう。
- 彼の体型からは想像がつかないが、いかりやによれば大学生の頃(本人の著書によると高校生の頃)ボクシングをやっていた。日本テレビ系「ダウンタウンDX」で「殴られて鼻血でも出したら、カッコ悪いじゃない。だからやめた」と証言。同番組では「いかりやから貰った弁当の海老フライをいかりやに取られ逆ギレした」「『俺の給料を上げろ!』といかりやの元に単身抗議しに行った」と、のんびりとしたイメージとは裏腹のエピソードを語っている。
- 趣味はクレー射撃。メンバー全員がクレー射撃の資格を持っているが、高木のみ趣味として継続している。これは、フジテレビ「トリビアの泉」でも紹介されている。高木いわく「最初に始めたのは長さんで、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると先にやめてしまった」のだとか。これは様々な趣味で同パターンが繰り返されたそうだ。なお加藤は交通事故を起こした際に銃を所持していたため、銃の所持免許を剥奪されたという説がある。また、意外とイラストもうまい一面があり、加藤茶の店がオープンしたとき、雷様等のイラストを展示していた。彼の画風は水墨画系のイラストで、筆と墨で丁寧に表情を表現していた。
- 焼肉が大好物だそうで、生であっても網の上に並べたそばからすぐ食べるらしい。じっくり焼いて食べるのが好きだったいかりやはその事に激怒した事も。又、レバ刺しが特に好きだが近年医者から止められている。が、それでも食べる。なお、嫌いな食べ物はうどん。
- 東京都港区麻布十番でバー"Boo's Bar HALONA"を営んでいた(2006年7月をもって閉店)。
- 新宿区西早稲田には、散歩する高木にあやかった通称「ブー横丁(通り)」が存在する。早稲田通りの一本裏の道で、昔から高田馬場駅から早稲田大学西早稲田キャンパスへの通学路として使われてきた。
- 在籍していた中央大学には、本名と同姓同名の「高木友之助」という学長がいた。
- 他のドリフメンバーと共にホノルルマラソンに出場したことがある。列の後ろの方からスタートしたが、何とスタート地点に達するまでに、わずか2kmでリタイヤしてしまった。
- 中日ドラゴンズの大ファンで、落合博満が中日に現役在籍時に、特番で落合家に仲本工事と訪問した時、実に嬉しそうな顔をしていた。しかし、なぜ中日ドラゴンズの熱烈なファンかは未だに不明(名古屋とも縁はない)
- ドリフでは結婚暦のない志村けんを除けば、唯一離婚していない。38年間の良き伴侶であった愛妻喜代子夫人は、高木より早世。以後、独身を貫いている。
[編集] 高木ブーの得意のネタ
- 雷様
- ピップエレキバン
- 「あった・・!一円玉があった・・!」
- 「無い・・!俺の一円玉がない~!」
- 「寝台車だから、死んだ医者」
- 故人タクシー
- 居眠り
※居眠り以外はすべてドリフ大爆笑のもの
特徴として、高木ブーのコントギャグは一発ネタ傾向が多い。これには、いかりや長介が「1ページのいかりや、半ページの志村、3行の仲本、1行の加藤、簡単詞のブー」と言ってたほど、セリフ覚えが悪い事から。唯一饒舌気味の雷様も、ほとんどがアドリブのノリで、実質高木のギャグは一発ネタ気味である。
[編集] メディア露出
[編集] CM
[編集] 関係者
[編集] 外部リンク
ザ・ドリフターズ | |
現メンバー: | 加藤茶・高木ブー・仲本工事・志村けん |
元・新生ドリフメンバー: | いかりや長介・荒井注・すわ親治 |
所属レコード会社: | 東芝EMI |
所属事務所: | イザワオフィス・渡辺プロダクション |
渡辺プロダクション3大タレント | |
ハナ肇とクレージーキャッツ: | ハナ肇・植木等・谷啓・犬塚弘・安田伸・石橋エータロー・桜井センリ |
ザ・ドリフターズ: | いかりや長介・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けん・荒井注 |
ザ・ピーナッツ: | 伊藤エミ・伊藤ユミ |