銚子電気鉄道線
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銚子電気鉄道線(ちょうしでんきてつどうせん)は、千葉県の銚子駅と外川駅とを結ぶ銚子電気鉄道の鉄道路線である。全線が銚子市内にあり、関東地方の最東端である犬吠埼の近くを通る。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):6.4km
- 軌間:1067mm
- 駅数:10駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流600V)
- 閉塞方式:自動閉塞式(銚子~仲ノ町間)、票券閉塞式(仲ノ町~笠上黒生間)、スタフ閉塞式(笠上黒生~外川間)
[編集] 歴史
- 1913年(大正2年)12月28日 - 地元の有志などによって設立された銚子遊覧鉄道の手により、銚子~犬吠間が開業。(1067mm軌間・蒸気動力)
- 1917年(大正6年)11月21日 - 経営が赤字続きであり、また第一次世界大戦が勃発して鉄の価格が高騰したことから、銚子遊覧鉄道線としては開業わずか4年目にして廃止となり、レールは鉄材として売却された。
- 1918年(大正7年)7月15日 - 銚子遊覧鉄道の廃線跡が、地元の旅館送迎バス専用道路となる。
- 1923年(大正12年)7月5日 - 銚子遊覧鉄道の設立構成員によって再び設立された銚子鉄道が、銚子遊覧鉄道の廃線跡を転用し、銚子~犬吠~外川間を開業させる(1067mm軌間・非電化、外川まで延長したのは漁港があったため)。
- 1925年(大正14年)7月1日 - 直流600Vで電化。笠上黒生駅開業。
- 1931年(昭和6年)6月21日 - 君ヶ浜駅開業。
- 1935年(昭和10年)8月14日 - 灯台前駅開業。
- 1942年(昭和17年) - 灯台前~外川間の犬吠駅廃止。灯台前駅を犬吠駅に改称。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 空襲で変電所と車庫が焼失し運転休止。
- 1945年(昭和20年)12月3日 - 国鉄から蒸気機関車を借り入れ、運転再開。
- 1946年(昭和21年)4月4日 - 変電所復旧。
- 1946年(昭和21年)6月10日 - 電車運転を再開。
- 1948年(昭和23年)8月20日 - 銚子電気鉄道に社名変更。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 西海鹿島駅開業。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 国鉄貨物輸送削減のあおりを受け貨物営業廃止。
- 1995年(平成7年)4月1日 - ワンマン運転開始。
- 1995年(平成7年)6月24日 - 本銚子駅~笠上黒生駅間にて、正面衝突事故が発生。乗員・乗客7名が負傷。
[編集] 運行形態
全列車が各駅停車で、1時間に2~3本運行される。今や全国的にも珍しい冷房化率0%の路線である。
4月下旬~10月上旬の日曜・祝日には、国鉄ワム80000形貨車を改造したオープンデッキ車両(ユ101)を用いたトロッコ列車の「澪つくし」号が、1日1往復運行される。電車牽引で運転されるため、外川駅では機回しが行われる。銚子駅ではそれができないため、その手前の仲ノ町駅で列車最後部に回送車両を1両増結し、銚子駅で客扱いを行った後、今度は銚子駅へ来るとき最前部であった車両を回送車とし、仲ノ町駅で切り離す。
なお2005年までは4月下旬~10月上旬の土曜は1往復、日祝日は4往復、夏休みシーズン(7月20日前後~8月末日)も毎日4往復運行された。さらにお盆の夜には納涼列車「サマーナイト澪つくし」も運行されていた。
運賃以外の料金は必要ない。なお名前は、銚子市を舞台にして1985年4月~10月に放送されたNHK朝の連続テレビ小説の『澪つくし』にちなむ。
また、毎年1月1日にJR東日本が初日の出見物客を対象に臨時特急「犬吠初日の出」号や快速「銚子初日の出号」を東京・成田方面から銚子駅まで運転しているが、銚子電気鉄道ではそれに合わせ、犬吠埼へ向かう客のために電車の終日運行を行う。
[編集] 運賃・割引乗車券
対キロ区間制。通勤定期最大40%引き、通学定期最大60%引き。(1997年改訂)
キロ程 | 運賃(円) |
---|---|
初乗り1km | 150 |
2 | 180 |
3 | 210 |
4 | 240 |
5 | 270 |
6~7 | 310 |
※1km未満の端数は切り上げ
なお「弧廻手形」(こまわりてがた。路線が円弧を描く形なのでこの名が付いた)として、終夜運転を行う時を除き、最高運賃の往復に相当する620円で一日乗車券を販売している。同社が発売する「ぬれ煎餅」の犬吠駅での1枚交換券、「地球の丸く見える丘展望館」の1割割引券、「銚子ポートタワー展望室」の1割割引券が付属している。
[編集] 利用状況
銚子電気鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | |||
1975年(昭和50年) | 24.9 | 65.1 | 65.0 | 155.0 | 2.1 | |
1976年(昭和51年) | 24.0 | 67.2 | 64.3 | 155.5 | 2.1 | |
1977年(昭和52年) | 21.7 | 63.0 | 60.1 | 145.0 | 2.3 | |
1978年(昭和53年) | 20.0 | 59.2 | 63.1 | 142.5 | 2.4 | |
1979年(昭和54年) | 19.6 | 56.8 | 64.2 | 140.6 | 2.4 | |
1980年(昭和55年) | 20.5 | 57.1 | 67.8 | 145.5 | 2.2 | |
1981年(昭和56年) | 22.1 | 56.4 | 67.6 | 146.3 | 2.3 | |
1982年(昭和57年) | 19.3 | 50.5 | 69.7 | 139.5 | 2.2 | |
1983年(昭和58年) | 19.3 | 50.2 | 65.1 | 134.6 | 1.9 | 貨物営業廃止 |
1984年(昭和59年) | 17.6 | 49.8 | 63.8 | 131.2 | 0.0 | |
1985年(昭和60年) | 17.0 | 47.3 | 69.3 | 133.6 | 0.0 | |
1986年(昭和61年) | 14.9 | 46.8 | 62.7 | 124.4 | 0.0 | |
1987年(昭和62年) | 14.3 | 43.3 | 59.2 | 116.8 | 0.0 | |
1988年(昭和63年) | 14.2 | 41.5 | 56.9 | 112.6 | 0.0 | |
1989年(平成元年) | 10.9 | 38.6 | 54.8 | 104.3 | 0.0 | |
1990年(平成2年) | 10.5 | 36.6 | 56.0 | 103.1 | 0.0 | |
1991年(平成3年) | 11.0 | 33.1 | 59.7 | 103.8 | 0.0 | |
1992年(平成4年) | 9.9 | 31.0 | 64.7 | 105.6 | 0.0 | |
1993年(平成5年) | 9.4 | 28.4 | 66.5 | 104.3 | 0.0 | |
1994年(平成6年) | 7.8 | 29.2 | 66.0 | 103.0 | 0.0 | |
1995年(平成7年) | 7.5 | 28.5 | 57.2 | 93.2 | 0.0 | |
1996年(平成8年) | 7.3 | 28.4 | 55.1 | 90.8 | 0.0 | |
1997年(平成9年) | 7.7 | 26.5 | 52.6 | 86.8 | 0.0 | |
1998年(平成10年) | 6.8 | 25.1 | 51.8 | 83.7 | 0.0 | |
1999年(平成11年) | 6.8 | 25.1 | 51.8 | 83.7 | 0.0 | |
2000年(平成12年) | 5.8 | 22.7 | 45.4 | 73.9 | 0.0 | |
2001年(平成13年) | 5.3 | 22.0 | 44.8 | 72.1 | 0.0 | |
2002年(平成14年) | 5.4 | 20.0 | 41.2 | 66.6 | 0.0 | |
2003年(平成15年) | 5.4 | 20.5 | 41.5 | 67.4 | 0.0 | |
2004年(平成16年) | 5.3 | 20.1 | 39.8 | 65.2 | 0.0 | |
2005年(平成17年) | ||||||
2006年(平成18年) | ||||||
2007年(平成19年) |
[編集] 収入実績
銚子電気鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 26,093 | ←←←← | 49,131 | 1,407 | 76,631 | 3,208 | 1,760 | 81,599 |
1976年(昭和51年) | ←←←← | |||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | |||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | |||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | |||||||
1980年(昭和55年) | ←←←← | |||||||
1981年(昭和56年) | ←←←← | |||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | |||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | |||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | |||||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | |||||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | |||||||
1987年(昭和62年) | 15,687 | 26,583 | 100,364 | 0 | 142,634 | 0 | 7,781 | 150,415 |
1988年(昭和63年) | ||||||||
1989年(平成元年) | ||||||||
1990年(平成2年) | ||||||||
1991年(平成3年) | ||||||||
1992年(平成4年) | ||||||||
1993年(平成5年) | 11,366 | 17,286 | 121,562 | 0 | 150,214 | 0 | 10,278 | 160,492 |
1994年(平成6年) | ||||||||
1995年(平成7年) | ||||||||
1996年(平成8年) | ||||||||
1997年(平成9年) | ||||||||
1998年(平成10年) | 7,480 | 17,441 | 107,555 | 0 | 132,476 | 0 | 10,049 | 142,525 |
1999年(平成11年) | ||||||||
2000年(平成12年) | ||||||||
2001年(平成13年) | ||||||||
2002年(平成14年) | ||||||||
2003年(平成15年) | 6,664 | 13,155 | 85,908 | 0 | 105,727 | 0 | 13,952 | 119,679 |
2004年(平成16年) | 6,476 | 13,241 | 82,432 | 0 | 102,149 | 0 | 8,949 | 111,098 |
2005年(平成17年) | ||||||||
2006年(平成18年) |
[編集] 車両
- 電車
- デハ701・702 - 元は1928年に製造された近江鉄道の貨物電車デユワ101・102。1941年に旅客用に改造された。銚子電鉄には1978年に入線。近江鉄道時代に片運転台化されたあと、再び両運転台化されるという経緯をたどっている。このため車両の両端の運転台の形状が異なるという特徴もある。
- デハ801 - 元は1950年に製造された伊予鉄道モハ100形。銚子電鉄には1985年に譲渡された。この車両も伊予鉄道時代に片運転台化・両運転台化の両方の改造を受けている。
- デハ1001・1002 - 営団地下鉄2000形の車体・営団地下鉄3000系の機器・富士急行モハ5700形(元小田急2200形)の台車を組み合わせたもの。
このうち下記の客車(澪つくし)を牽引できるのはデハ801・1001・1002の3両である。
- 事業用車
- 電気機関車
- 客車
- ユ101 - 国鉄ワム80000形貨車を改造したトロッコ客車。NHKのドラマにちなみ「澪つくし」の愛称をもつ。デハ801・デハ1001・デハ1002のいずれかによって牽引される。
- 過去の使用車両
[編集] 駅一覧
銚子駅 - 仲ノ町駅 - 観音駅 - 本銚子駅 - 笠上黒生駅 - 西海鹿島駅 - 海鹿島駅 - 君ヶ浜駅 - 犬吠駅 - 外川駅
[編集] 接続路線
- 銚子駅:総武本線