金田喜稔
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金田 喜稔(かねだ のぶとし 1958年2月16日 -)は、広島県安芸郡府中町出身の元サッカー選手、サッカー日本代表選手。現在はTBSなどでサッカー解説者として活躍している。
[編集] 経歴
県立広島工業(通称・県工)時代は、楚輪博、木村和司、石崎信弘、室野哲雄、猿沢茂らとスペクタクルなサッカーを展開し1976年高校選手権でベスト8、国体準優勝。1977年高校選手権ベスト4。かつて御三家と言われながら、永らく低迷が続く広島高校サッカーが最後に輝いた瞬間だった。その後中央大学に進み2年生で日本代表に選ばれた。変幻自在のドリブルの名手として知られ、この頃から世界の強豪チームを相手にしても、切れ味鋭いドリブルは充分通用した。
卒業後は郷里広島の東洋工業に入る予定だったが、単位を落としてしまい、大学に通いながらプレーできる在京チームを希望。1980年、加茂周監督に歓誘され日産自動車(横浜F・マリノスの母体)に入団。当時の日産は日本サッカーリーグ(JSL)で2年連続の最下位という結果に終わり再び2部へ落ちた時期。しかし翌年県工の後輩、木村和司も入団、日本屈指の才能と技術を持つ二人の加入により以後、水沼貴史、柱谷幸一、松永成立、長谷川健太、井原正巳ら有力選手が日産に集まり黄金時代を形成した。
愛称は名字から『キンタ』。がに股気味の独特のフェイントの足さばきは『キンタダンス』と呼ばれた。またユニフォームの袖を短く折り返す着こなしは 、当時のサッカー少年達がよく真似た。その後内転筋を痛めて精彩を欠いたが、1980年代後半にキレが戻り再び中心選手として活躍した。この頃奥寺康彦の帰国により、日産、読売を中心にプロサッカー選手が続々誕生。木村が国産選手・第1号になったが、金田は選手としてプロになることを頑なに拒んだ。プロ化が成功できるとは思えなかったのだろう。
その後1991年に現役を退き日産の人事部に勤務しながらNHK、TBS、テレビ東京のサッカーコメンテーターを担当。皮肉なことにサッカー解説業が忙しくなり、1993年に日産を退社し独立。現在解説以外にもサッカーの指導・普及に当たる。
真黒い顔と解説者としての歯に衣着せぬ発言が、一部のファンの間では好評。2000年に行われたサッカー・アジアカップ決勝戦(日本vsサウジアラビア)では、決勝点を決めた望月重良に向けて、「やったなー! モチィ」と極めてフレンドリーな賞賛を送り、中継に花を添えた。戦術解説は風間八宏と並んでタメになる、との評価もある。一方で、実況の土居壮とのコンビによるJ SPORTSのアルゼンチンサッカー中継は、ボカ贔屓かつ試合そっちのけでの雑談トーク(土居アナが実況を担当するゴルフ・ラグビー等の話題多し)を繰り広げているが、こちらも根強い人気を誇る。
現役の頃からロッカールームでタバコを吹かすヘビースモーカーで知られ、後輩の木村を夜中に呼びつけ広島のお好み焼きを作らせアッシーにする、フジテレビ721で放送されているチャンネル北野eXに出演した際は、最初から最後まで酒を飲んで、言いたい放題喋るなど、豪放な人物としても知られる。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | 日産自動車サッカー部の選手 | 1958年生