加茂周
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加茂周 (かも しゅう、 1939年10月29日 - )は兵庫県芦屋市出身のサッカー解説者、指導者。元サッカー日本代表監督(1995年 - 1997年)。
[編集] 経歴
兵庫県立芦屋高等学校、関西学院大学文学部卒業。ヤンマーサッカー部(現・セレッソ大阪)の選手・コーチを歴任。
1974年から日産自動車サッカークラブ(現・横浜F・マリノス)に正社員としてではなく、日本人の指導者として初めて実質的なプロ契約監督として就任し、日本サッカーリーグの常勝軍団にした。またここから木村和司、水沼貴史、金田喜稔といったスター選手を育て上げた。
1991~92年シーズンに全日空横浜サッカークラブ(1992年ナビスコ杯以降横浜ASフリューゲルス)を指揮。1993年度天皇杯で同チームを初タイトルに導いた。
1995年、パウロ・ロベルト・ファルカンの後任として(紆余曲折の末に)日本代表監督に就任。ゾーンプレスで追い込んで、素早く攻撃に転じるサッカーを浸透させようとした。しかし1997年、フランスW杯アジア地区最終予選のホーム韓国戦を落とし、続くアウェイのカザフスタン戦でも引き分けに終わったことから、現地で更迭を余儀なくされた。
その後、1999年のシーズン当初アルビレックス新潟のアドバイザーに就任。1999年のJ1セカンドステージから京都パープルサンガの監督に就任した。元フリューゲルスの選手や元日本代表選手を揃え、一時は好成績を残すものの、2000年ファーストステージで下位に低迷し解任。
2001年に尚美学園大学総監督、2003年には大阪学院大学でも総監督を歴任した。
現在は、NHK衛星放送のサッカー解説者。独自な視点から繰り出すコメントには、熱狂的なファンも多い。1994年アメリカワールドカップの決勝戦(ブラジルvsイタリア)では、「バレージを見てるだけで楽しくなりますね」と解説者とは思えない発言で、良くも悪くも視聴者を楽しませている。この時には、イタリアのアリゴ・サッキ監督を「サツキ監督」と呼んでいた。その他、代表チームを「赤組」「白組」と発言したり(国の名前が覚えられなかったものと想像される)、イタリア代表のアレッサンドロ・デルピエロを「あの青の10番は上手いね~」と評する(これまたデルピエロの名前を覚えられなかったのであろう)など。また、実況が話題や解説を振っても答えが返ってくるまでかなりの間が空くことも多々あるなど実況泣かせな一面も目立つが、試合の流れをしっかりとつかんだ発言をさらっとすることも多く、解説者として独特の存在感を持っている。 選手を「〜君」と呼ぶことでも有名。
FIFAの世界最優秀選手に投票した際には、一位にロベルト・カルロスに投票したという経緯があり、身体能力に優れた選手を好む傾向があり、ロベルト・カルロスのような選手は日本には当分出てこないだろうと嘆いていたこともある。また監督時代には「ゾーンプレス」という言葉を使うのが好きで、自身の負け試合の時には「ゾーンプレスが機能しませんでした」という理由付けで片付けることが非常に多かった。
[編集] 監督としての成績
- 天皇杯優勝7回
- JSLリーグ優勝3回
- 日本代表監督として通算戦績24勝13敗11分、100得点63失点。
- 日本代表監督
- 1995-1997途中
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- 先代:
- パウロ・ロベルト・ファルカン
- 次代:
- 岡田武史
- 日産自動車サッカー部監督
- 1974-1984
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- 先代:
- 安達二郎
- 次代:
- 鈴木保
- 日産自動車サッカー部監督
- 1985途中-1989
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- 先代:
- 鈴木保
- 次代:
- オスカー
[編集] 外部リンク
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