軍服 (ロシア・ソ連)
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ロシア・ソ連の軍服(ろしあ・それんのぐんぷく)はロシア帝国(19世紀以降)、ソビエト連邦・ロシア連邦における軍服の特徴と歴史を扱う。また、その他国への影響についても適宜言及する。
目次 |
[編集] 概観
19世紀から20世紀初頭にかけて、ロシア帝国はヨーロッパ・アジア両大陸に覇を唱える軍事大国であり、軍服も他のヨーロッパ諸国の影響を受けながら独自の発達を遂げた。ロシア革命の結果ソビエト連邦が成立し、さらに第二次世界大戦後の社会主義陣営の広がりと東西冷戦の中で、世界の二大軍事勢力の盟主となるに至ったソ連軍の軍服は、アメリカ軍のそれと並んで20世紀後半の世界各国の軍服に影響をあたえることとなった。
[編集] ロシア帝国の軍服
日露戦争時のロシア陸軍将校服 |
ロシア海軍将校服(夏季)の着用例(アレクサンドル・コルチャーク) |
ロシアの軍服は第一次世界大戦前から、ロシア帝国を汎スラブ主義の盟主と仰いでいた東ヨーロッパのいくつかの国の軍服に影響をあたえていた。例:ブルガリア、セルビア(第一次世界大戦後ユーゴスラビア王国となる)等。それは肩章で表わされる階級章のパターン(後述)にもっとも顕著に現れている。
[編集] ソビエト連邦の軍服
[編集] 1943年まで
1928年ごろの赤軍将校制服 |
赤軍将官制服の着用例(アレクサンドル・ヴァシレフスキー) |
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1942年ごろの赤軍の軍服(右端、兵士と握手している人物はレオニード・ブレジネフ) |
だが当のロシア国内では第一次大戦中にロシア革命が発生、その結果誕生したソビエト連邦の赤軍(1946年に「ソビエト軍」と改称)では、軍服のデザインにおいて旧体制のイメージにつながる要素の一新が図られた。すなわち、縦長の楕円形の帽章にかわって、共産主義を象徴する赤い星に金色の鎌とハンマーを組み合わせた帽章、上着は立襟にかわって折襟、階級章は肩章にかわって襟章(台布は一部の兵科を除き陸軍は赤、空軍は空色)が用いられるようになった。一方海軍は兵・下士官は世界共通の水兵服、将校は立襟の上着、階級は袖章(金色の横線の数)で表わした。多少の変更を含みながら1943年までこのパターンは続き、また各国の共産党指揮下の武装組織(中国の紅軍やユーゴスラビアのパルチザン、国家の軍隊としてはモンゴル人民共和国)の軍服にも影響を与えた。
- ユーゴスラビアのパルチザンの軍服(1) 左側、パイプをくわえている人物がチトー
- ユーゴスラビアのパルチザンの軍服(2) 作戦会議を行うパルチザン首脳
- ユーゴスラビアのパルチザンの軍服(3) チトー(右)とアルソ・ヨバノビッチ
[編集] 1918~1924年
[編集] 1924~1935年
[編集] 1935~1943年
[編集] 1943年の軍服改定
第二次世界大戦(独ソ戦)最中の1943年、ナショナリズムを鼓舞する意図からか、赤軍の軍服に、先述の帝政ロシア軍の要素が大幅に導入(換言すれば「復活」ないし「復古」)された。すなわち、縦長楕円形の帽章(中心に従来の赤い星がくる)、立襟の上着(従来の折り襟と併用)、肩章で表わす階級章である。加えて、将官には制帽や襟の装飾に金の葉模様刺繍をふんだんに用いた礼服も制定された。第二次世界大戦後の社会主義陣営の軍隊にも大きな影響を与えたソ連軍の軍服にはこうして、「共産主義の軍隊」と「ロシア軍」の2つの要素が混在することになった。
1943年以降のソ連軍がロシア軍から引き継いだもっとも顕著な軍服の特徴は肩章であろう。それは19世紀に各国で一般的であった「エポレット」の影響を色濃く残す幅の広い肩章で、概ね以下のようなパターンで階級を表わす。
- 正式(礼服・勤務服に用いる)
- 兵・下士官は兵科色の地色(以下同)に金色の横線の刺繍の数で表わす。
- 尉官は2本、佐官は3本の太い金色の縦線の刺繍が入り、その上に付く星の数で表わす。
- 将官は地色(兵科色)を縁に細く残して肩章全体を金色の刺繍が覆い、その上に星の数で表わす。
- 略式(戦闘服、後には勤務服にも用いる。迷彩効果を高めたもので、正式の肩章とは「地」と「柄」の関係が逆転している)
- 兵・下士官は服生地と同じ色の肩章(以下同)に兵科色の横線の数で表わす。
- 尉官は兵科色の縁取りに1本、佐官は2本の兵科色の細い縦線が入り、その上に付く銀色の星の数で表わす。
- 将官は兵科色の縁取りに、金色の星の数で表わす。
- また元帥は大きな1個の星とソビエト連邦の紋章を並べて表わされるが、これは帝政ロシアの「双頭の鷲」の紋章をあしらった階級章にヒントを得たものと思われる。
- 参考:ソ連陸軍・海軍の階級章(肩章)
ソ連陸軍将官・元帥用勤務服(ダブル開襟タイプ)の着用例(ゲオルギー・ジューコフ) |
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ソ連空軍将校用勤務服の着用例(ユーリイ・ガガーリン) |
[編集] 第二次大戦後
第二次大戦後、ソ連の軍服は社会主義陣営の国々の軍服に大きな影響を与え、特に上述の「ロシア式」肩章が多くの国で採用された。例:モンゴル、北朝鮮、中国(1955~65年、1988年~)、ルーマニア、アルバニア(1945~66年)、キューバ、南イエメン、モザンビーク等。
一方、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーでは戦前との連続性の強い階級章が導入された。またブルガリアはソ連式の階級章を導入したが、先述のようにブルガリアの軍服には戦前からロシア軍の影響が強かったので(戦中はこれにドイツ軍の影響を加味したデザインであった[1][2])、その意味では伝統の踏襲とも取れる。
また独力で内発的に抵抗戦争と革命を達成したとの自負の強い国々では、ソ連式の階級章と別の独自のパターンが併用されたり、後者にとって代わられたりした。例:ユーゴスラビア、アルバニア、中国、ベトナム、キューバ等(うちアルバニアと中国では1960~80年代に階級制度と階級章自体が廃止)。
[編集] ソビエト連邦解体後のロシア軍・およびその他の旧ソ連諸国の軍服
1991年にソビエト連邦が解体して後のロシア軍の軍服は、ソ連軍の軍服から「ソ連」「共産主義」につながる意匠(赤い星等)を排除する一方、1943年に復活した「ロシア軍」の要素と第二次大戦後に新しく加えられた要素(開襟ネクタイ式の上着や迷彩服等)をほぼそのまま踏襲したものになっている。ソ連解体後に新たに加わった要素としては、従来の楕円形の帽章の上に付く「双頭の鷲」(東ローマ帝国の後継者と自任するロシアの象徴)の帽章などがあげられる。
ロシア以外の旧ソ連諸国の軍服のうち、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン等の国々では旧ソ連との連続性(ロシア軍との共通性)が強い。他方、ソ連への併合に対する反感が根強かったバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)等では独自色の強い軍服が採用されている。 コーカサスの国ではグルジア、アルメニアの軍服はロシア軍との共通性が強い軍服であるが、 アゼルバイジャンではトルコ軍に近い軍服が近年になり採用されているがこれはコーカサス三国の宗教的、政治的な背景が影響している。 また旧ソ連諸国ではないが軍服や階級制度などが共通したものであったモンゴルにおいても米軍の軍装に近い軍装となったが依然としてロシア軍と共通性の高い軍服を採用している。
その他、ロシア(ソ連)軍から各国の軍服に広まった軍服の要素としては、ヘッドホンを内蔵し緩衝パッドをつけた戦車帽、水兵や特殊部隊兵士が着用する、白地に青の横縞のシャツ等がある。
[編集] 外部リンク
- Soviet Army.com(英語)
- Under the Red Star(英語)
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