軍服 (トルコ)
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トルコの軍服(とるこのぐんぷく)は、タンジマートによる軍制改革以降のオスマン帝国、および建国(1923年)以降現在に至るトルコ共和国における軍服の変遷について述べる。
軍服姿のアブデュルハミト2世、1890年。 |
ガリポリ従軍時のケマル・アタテュルク |
ケマル・アタテュルク(椅子に座っている)とオスマン軍将校、1918年。 |
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共和国成立後のケマル・アタテュルク(手前)とトルコ軍将校。フェス帽が廃止され、ケマルはシルクハット、軍人はつばつき軍帽を着用している。 |
サムスンにあるケマル・アタテュルクの騎馬像。制帽がつば付き帽になっている。 |
ナチス武装親衛隊の軍帽に取り入れられたフェス帽 |
目次 |
[編集] タンジマート改革と洋式軍服の導入
[編集] 第一次世界大戦前後~ドイツ式軍服の導入
20世紀に入り、ロシア帝国が主導する汎スラヴ主義への対抗からオスマン帝国はドイツ帝国との提携を強め、第一次世界大戦もドイツ・オーストリア側に立って参戦した。このことは軍服にも反映し、特に陸軍の軍服には折襟仕立ての上着、肩章、長靴などにドイツ軍の影響を強く受けたものが着用されるようになり、またドイツ軍が大戦中に開発したヘルメットもトルコ軍に導入された。ただ、生地色にはドイツ軍の戦闘軍装に一般的な緑灰色ではなくカーキー色が用いられ、また制帽には引き続きフェス帽が用いられた。
[編集] トルコ共和国の軍服
第一次世界大戦後、ムスタファ・ケマル・アタテュルクを指導者とするトルコ革命により、1922年にスルタン=カリフ制が廃止されてオスマン帝国は終焉し、翌23年にトルコ共和国が成立した。このような変革にともない、かつて洋式軍制・軍服の導入にともなってターバンに取って代わる形で導入されたフェス帽は、軍服においては世界各国と共通のつばつきの軍帽に取って代わられたのである。
軍帽以外の点については、トルコ共和国の軍服は、建国当初はオスマン帝国時代末期の傾向を引き継いで、上着の折襟仕立て、肩章、長靴等にドイツ軍の影響をとどめていた。
第二次世界大戦後、西側陣営の一員としてNATOにも加盟したトルコ軍の軍服は、概ねアメリカ軍に近いものとなっている。
[編集] 影響
上で述べたように、オスマン帝国時代に軍帽として採用されたフェス帽は、トルコ国内では革命にともなって廃止されたが、旧オスマン帝国領の国(エジプト等)や、ヨーロッパの軍隊でムスリム系住民を兵士に編成した場合(オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスやフランスの植民地軍、ナチス・ドイツの武装親衛隊等)に、しばしば軍帽として採用された。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- David Nicolle/Raffaele Ruggeri(Illust.) ,The Ottoman Army: 1914-18 (Men-at-Arms Series 269) Osprey Publishing Co., 1994. ISBN: 1855324121
[編集] 外部リンク
- トルコ軍公式サイト(トルコ語・英語)
- ムスタファ・ケマル・アタチュルクの写真ギャラリー(英語) オスマン帝国末期~共和国初期のトルコ軍の軍服(将校)がうかがえる。
- 第一次世界大戦時のトルコ軍服(現物画像)(英語)
- 第一次世界大戦時のトルコ軍服(当時の写真)(英語)
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