戦闘服
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戦闘服(せんとうふく、英:Combat Dress,独:Kampfanzug)とは、軍人が戦闘時に着用する特種の軍服である。当初は、平時の通常勤務服と戦場での戦闘服とを区別しなかった。しかしながら、平時の通常勤務服は威儀を整える目的が強いのに対して、戦闘服は迷彩、衛生等の必要性が強く、必ずしも同一の服装を用いることが適当ではないことが多かった。そこで、各国の軍隊(特に陸軍)は、通常勤務服と戦闘服とを分離する服制を採用するようになった。
目次 |
[編集] 概要
現代陸軍の戦闘服では、主に次のような着用品からなっている。
[編集] 迷彩服
陸軍の戦闘服の服地は、仮想戦場が森林、平原、密林、砂漠等の地理的条件により目立たない色合が選ばれることが多い。第2次世界大戦頃まで最も良く知られている色合いはカーキ色である。これは、インドの自然条件を背景にインド駐箚英軍で採用され始め、第2次ボーア戦争頃の1902年に英軍全体で施用されるようになった。
現代は戦場の埴生や冬季・夏季の季節に応じた多種な迷彩服が多用される。ヘルメット(鉄帽)にも同様の迷彩柄を施した「迷彩カバー」を被せることが一般的である。
迷彩服は、1929年にイタリア軍で使用し始められた。迷彩服を大規模に実戦で使用し始めた軍隊はナチス・ドイツの武装親衛隊である。通常の軍服の上に重ね着するスモーク型が始まりであった。
戦後の新生ドイツ連邦軍の迷彩柄(Flecktarn) |
熱帯林地域等で多用される虎柄迷彩(Tigerstripe) |
[編集] 各国の戦闘服
[編集] 日本
日本陸軍では、日露戦争に際して戦時服が定められ、その後それが通常勤務服(45式)に採用された例もある(軍服_(大日本帝国陸軍)参照)。
陸上自衛隊では当初、迷彩服は対外的に刺激が強いことからオリーブドラブ(OD)色の戦闘服が用いられた。また、階級章も白色の線等で表されていたが、階級章が迷彩効果を大幅に削ぐ問題点があった。そこで、1980年代頃に北海道における大規模な地上戦を想定して北海道の植生において迷彩効果の高い迷彩服を採用した(階級章もODに黒線に変更されている)。その後、1991年頃に日本全国の植生において迷彩効果の高い新型迷彩服(迷彩服2型)を採用するに至った。以前は通常の業務にはOD色の作業服を着用し、迷彩服は演習時のみ着用していたが、現在ではほとんどの部隊で恒常業務でも迷彩服を着用している。
航空自衛隊でも、青磁緑色の「作業服」のほか、迷彩柄の「迷彩服」(陸自とは別パターン)が用いられる。
[編集] 米国
BDU(Battle Dress Uniform)と称する。米海兵隊は第2次世界大戦中の太平洋戦線で1942年にジャングル戦用のカモフラージュを初めて少数であるが採用した。米陸軍では、2005年4月以降、ACU迷彩と呼ばれる全地域型迷彩服の配備を始めている。
米空軍の戦闘服(Airman Battle Uniform) |
米海兵隊のデジタル迷彩パターン |
[編集] ロシア
帝政ロシア時代は、近衛兵部隊はカラフルな被服も用いられたが、一般の軍は白又は濃緑の被服が用いられた。もっとも、コサック連隊は、クリミア戦争の間、基本的なカモフラージュパターン技術を使用した。全軍は、1908年からカーキ色を使うこととなった。ソ連軍、新生ロシア連邦軍では、特殊部隊と一般部隊とで、使用される迷彩柄が異なっていることが多い。米軍などは戦闘服の階級章や各種徽章も目立たないような色を用いるが、ロシア軍では比較的目立つ色も用いられる。
海軍歩兵。2003年。 |
[編集] その他
フランス軍では第1次世界大戦中の1914年頃まで、明るい青・赤の目立つ服装であったが、狙撃などの被害が多発したため、1915年頃にカーキ色の戦闘服に切り替えた。迷彩服は第2次世界大戦後に採用された。
現在では、オーストラリア軍は、AUSCAMと呼ばれている多色カモフラージュを着用する。これは米軍のBDUと類似してるが、コンピュータープログラムにオーストラリアの景色の色を入れることによって開発された。
[編集] 関連項目
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