角川映画
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角川映画(かどかわえいが)は、
- 日本の映画会社の一つ。角川書店の映画部門を独立させ、映画会社「大映」と合併させる形で2004年に誕生した。2006年3月1日に角川ヘラルド・ピクチャーズと合併し、角川ヘラルド映画となった。
- .もしくは角川映画株式会社発足以前にその親会社である出版社の角川書店によって1976年より製作された一連の映画の通称。
本項ではこの両方について詳述する。
目次 |
[編集] 角川映画株式会社
大映時代については、大映も参照のこと。
[編集] 概要
- 商号 角川映画株式会社
- 英文商号 KADOKAWA PICTURES, INC.
- 角川ホールディングス(現・角川グループホールディングス)の完全子会社であった
- 本社 東京都千代田区紀尾井町3番6号 秀和紀尾井町パークビル
[編集] 沿革
- 1942年1月:大日本映画製作株式会社(後の映画会社「大映」)が設立される。
- 1945年12月:社名を大日本映画製作株式会社から大映株式会社に改める。
- 1971年12月:業績不振で破産する。
- 1974年9月:徳間書店の傘下となる。
- 2002年11月:株式会社角川書店に営業権が譲渡され、株式会社角川大映映画が設立される。
- 2004年1月:株式会社角川書店のエンタテインメント事業部を統合する。
- 2004年4月:トスカドメイン株式会社を合併し、社名を角川映画株式会社に改める。
- 2005年8月:日本ヘラルド映画株式会社を買収、連結対象子会社化。角川ヘラルド・ピクチャーズ。
- 2006年3月1日 角川ヘラルド・ピクチャーズと合併し、角川ヘラルド映画となる。
[編集] テレビドラマ作品
[編集] 大映時代
[編集] 角川大映映画時代
- OL銭道(テレビ朝日)
[編集] トスカドメイン時代
- 女と愛とミステリー(テレビ東京)
- 人間の証明 2001
- 刑法三十九条 フラッシュ・バック
- 犯罪交渉人・ゆり子
- 監察医・篠宮葉月 死体は語る
- ごめんあそばせ!主婦探偵・河原綾子ののぞき見事件簿
- 文書鑑定人・白鳥あやめ
- 金田一耕助ファイル〔横溝正史生誕百年記念特別企画〕
- 逃げ口上〔横溝正史生誕百年記念特別企画〕
[編集] 角川映画時代
- 女と愛とミステリー→水曜ミステリー9(テレビ東京)
- 監察医・篠宮葉月 死体は語る
- 猪熊夫婦の駐在日誌
- 横溝正史ミステリ大賞作品
- みんな誰かを殺したい
- 約束 ~いつか、虹の向こうへ~
- 電池が切れるまで(テレビ朝日)
- 赤い月(テレビ東京)
- 雨と夢のあとに(テレビ朝日)
- 着信アリ(テレビ朝日)
- てるてるあした(テレビ朝日)
[編集] 外部リンク
[編集] 映画としての「角川映画」について
映画の製作を目的に設立された角川春樹事務所、あるいは角川書店が製作した映画が「角川映画」である。ここでの角川春樹事務所は現在ある同名会社とは別会社で、現在では角川書店本体に吸収されている。一般的に「角川映画」という呼称は、角川書店による映画を元にしたメディアミックス展開の一例として捉えられる場合が多い。事実、「角川商法」としてメディアミックスの成功例の代表として取り上げられている。
1976年、当時社長だった角川春樹は自社が発行する書籍(主に角川文庫が中心となった)の売上げ向上のため、それを原作とした映画を製作する事にした。それが角川映画の第一作『犬神家の一族』である。テレビCMなど大規模な宣伝をうち、書籍と映画を同時に売り込む事に寄って相乗効果を狙ったもので、結果大成功を収める。第2作『人間の証明』(1977年)の宣伝のキャッチコピーとなった「読んでから見るか、見てから読むか」は流行語になったほどである。この成功から角川書店の方針は完全にメディアミックス中心へと進んで行くこととなる。以後、推理作家の横溝正史ブームを仕掛けて、次々と映画化。1978年の『野性の証明』、1979年の『戦国自衛隊』、1980年の『復活の日』と大作路線も敷く。1980年代は、スター・システムによるアイドル映画を手がけた。特にコンテストで発掘された角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世の3人は「角川3人娘」と称され、薬師丸は『野性の証明』(1978年)『セーラー服と機関銃』(1981年)で、渡辺は『晴れときどき殺人』(1984年)で、原田は『時をかける少女』(1983年)『愛情物語』(1984年)で、一躍スターダムへと駆け登った。この3人はテレビに露出することが少なく、1970年代以降のテレビに出演しているアイドルが映画に出演する形でなく、かつて映画全盛期のスクリーンでしか見られない映画スターと同様の存在として若い観客を映画館へ呼び戻した。角川3人娘と角川映画の情報を誌面を飾る雑誌『バラエティ』も創刊して情報の発信に努めた。1983年からは、マッドハウス、東映動画と組んで、『幻魔大戦』を手始めにアニメ製作にも進出して話題になる。
こうして、1970年代末から1980年代半ばの角川映画は、洋画とテレビに押される一方だった日本映画界の停滞を打ち破るヒットを連発。角川映画の指揮をとった角川春樹は山本又一朗らの独立プロデューサーとともに映画界の寵児になり、ある種のカリスマ性すら発揮。角川映画は角川春樹の代名詞とも言える存在であった。当初は話題先行と見られて映画評論家からは低かった評価も、1982年の『蒲田行進曲』、1984年の『Wの悲劇』と『麻雀放浪記』が映画賞を受賞したりベスト10にランクインするなど、内容的な充実も認められるようになった。また、1980年代の角川映画は、当時新進の映画監督、相米慎二、井筒和幸、森田芳光、根岸吉太郎らを起用して、映画を撮るチャンスを与えている。日本映画界に定着する一方で、1980年代後半以降は、角川映画からはかつてのイベント性やブーム性が失われ、薬師丸ひろ子ら看板スターの人気がかげりが出るなどして、角川映画からは当初の勢いは失われていった。これには、フジテレビが映画界に本格参入して、角川映画のお株を奪う大量スポットやテレビ局を挙げてのメディアミックス戦略をしかけるなどした影響もあった。1990年には久しぶりの大作『天と地と』を手がけ、1992年にハリウッド進出第1弾と称した『ルビー・カイロ』を製作するが、『ルビー・カイロ』は失敗。この映画事業の失敗が、角川春樹と弟の角川歴彦の対立を呼び、1992年に角川書店のお家騒動が勃発。続けて、1993年に角川映画を牽引した角川春樹が薬物所持により逮捕され、角川書店を離れる事態に至る。
角川春樹社長辞職以後も、社長に就任した弟の歴彦によってメディアミックス路線は継承され、映画分野では角川本体やアスミック・エースエンタテインメントによって積極的に映画製作を行うほか、海外作品では積極的に配給・ノベライズを行っている。さらには大映の買収・角川本体から分けられたエンタテイメント部門との統合、日本ヘラルド映画の買収などによってその展開は一層強まっている。また映画以外にも、歴彦が角川メディア・オフィスとザテレビジョン社長も勤めていた時代に進めていた漫画やライトノベルを原作にしたアニメやゲームなど様々な分野におけるメディアミックス展開を継続した。代表的な例として「新世紀エヴァンゲリオン」「ロードス島戦記」などがあげられる。
「角川映画」の著作権を巡って、角川春樹と角川書店の間で係争も起こった。著作権は自分にあるとする角川春樹の提訴に対して、東京地方裁判所は角川映画の著作権を角川書店側に認める判断を下している。
なお、往年の「角川映画」が角川春樹の個性あってこそとする立場や角川春樹の社会的地位の変化を重要視しない立場からは、角川春樹が角川書店の社長を辞任した後に関与して製作した映画(「男たちの大和/YAMATO」2005年12月公開)などについても「角川映画」と呼称される場合もある。
[編集] 映画
- 犬神家の一族
- 人間の証明
- 野性の証明
- 悪魔が来たりて笛を吹く
- 白昼の死角
- 金田一耕助の冒険
- 蘇える金狼
- 戦国自衛隊
- 復活の日
- 野獣死すべし
- 刑事珍道中
- スローなブギにしてくれ
- 魔界転生
- ねらわれた学園
- 悪霊島
- 蔵の中
- セーラー服と機関銃
- 化石の荒野
- この子の七つのお祝いに
- 蒲田行進曲
- 伊賀忍法帳
- 汚れた英雄
- 幻魔大戦
- 探偵物語
- 時をかける少女
- 里見八犬伝
- 少年ケニヤ
- 晴れ、ときどき殺人
- 湯殿山麓呪い村
- 愛情物語
- メイン・テーマ
- 麻雀放浪記
- いつか誰かが殺される
- Wの悲劇
- 天国にいちばん近い島
- カムイの剣
- ボビーに首ったけ
- 結婚案内ミステリー
- 友よ、静かに瞑れ
- 早春物語
- 二代目はクリスチャン
- キャバレー
- 彼のオートバイ、彼女の島
- オイディプスの刃
- 時空の旅人
- 火の鳥 鳳凰編
- 黒いドレスの女
- 恋人たちの時刻
- ぼくらの七日間戦争
- 花のあすか組!
- 花の降る午後
- 天と地と
- 天河伝説殺人事件
- 男たちの大和
- 戦国自衛隊1549(2005)
- 小さき勇者たち~ガメラ~(富岡涼、夏帆etc)(2006)
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