藤岡琢也
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藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年9月4日 - 2006年10月20日)は俳優、声優。兵庫県姫路市生まれ。
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[編集] 来歴・人物
広島の陸軍幼年学校在籍時に終戦を迎え、その後兵庫県立姫路西高等学校を卒業。関西学院大学法学部を病気のため中退。芸能界入りの切っ掛けは入院中に知り合った、ラジオ作家の堀江史朗の弟がいたためであるという。退院後には堀江を頼って上京し、1957年に劇団「葦」へ入団。
当初は「平凡な顔立ち」と言う理由で、外国ドラマ・アニメなどの声優として活動をしていた。1966年に「事件記者」で俳優としてデビュー。2001年に菊田一夫演劇大賞特別賞を受賞。
1969年以降はサンヨー食品の「サッポロ一番味噌ラーメン」のCMに40年近く出演した。
2006年2月21日、1990年から続いてきたドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役を肺炎のため降板(後任は宇津井健)。
同年10月20日午後3時18分、慢性腎不全のため東京都新宿区の慶應義塾大学病院で死去。享年76。戒名は「夢藤岡琢也霊位」。
大学時代の同級生でもあり、音楽仲間にキダ・タロー(在学中に同じバンドに所属、担当はバイオリン、キダ・タローの担当はアコーディオン)がいる。さらに、大学時代の同級生には高島忠夫がいる。
また、阪急ブレーブス時代からのオリックス・バファローズファンとしても知られた。
桂米朝は小学校の先輩で、遠足の時手をつないでもらった。
[編集] 代表作
[編集] 映画
- 悪名無敵(1965年10月27日、大映):磯部 役
- 新・兵隊やくざ(1966年1月3日、大映):豊後一等兵 役
- 大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン(1966年4月17日、大映):佐藤医師(船医) 役
- クレージー黄金作戦(1967年4月29日、東宝):大浜部長 役
- フレッシュマン若大将(1969年1月1日、東宝):藤原課長 役
- 社長えんま帖(1969年1月15日、東宝):ポール花岡 役
- 続社長えんま帖(1969年5月17日、東宝):ポール花岡 役
- ニュージーランドの若大将(1969年7月12日、東宝):藤原課長 役
- ブラボー!若大将(1970年1月1日、東宝):西岡 役
- 社長学ABC(1970年1月15日、東宝):猿渡平一 役
- 続社長学ABC(1970年2月28日、東宝):猿渡平一 役
- 喜劇 がんばれ日本男児(1970年5月23日、東宝):荒木俊夫 役
- 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年4月24日、東映):米元政夫 役
- 八甲田山(1977年6月18日、東宝):門間少佐 役
- 八つ墓村(1977年10月29日、松竹):久野医師 役
- 連合艦隊(1981年8月8日、東宝):軍令部第一部長 福留繁少将 役
- 小説吉田学校(1983年4月9日):広川弘禅 役
- 男はつらいよ旅と女と寅次郎(1983年8月8日、松竹):北村社長 役
- うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984年2月11日):夢邪鬼 役
- ※声優として出演
- 死に花(2004年5月8日):原田金蔵 役
[編集] TV
- 事件記者(1966年、NHK)
- ザ・ガードマン第80話「罠には罠を」(1966年、大映テレビ室・TBS)木村役
- ケンチとスミレ(1967年、NHK)
- ブラック・ジャック(テレビ朝日)倉持警部役
- 太陽にほえろ!(1972年、東宝・日本テレビ)準レギュラー 鮫島勘五郎・鮫やん役
- 元禄太平記(1975年、NHK大河ドラマ)紀伊国屋文左衛門役
- サンキュー先生 山崎校長役
- 事件記者チャボ!(1983年、日本テレビ)鬼丸剛役
- 春日局(1989年、NHK大河ドラマ)豊臣秀吉役
- 渡る世間は鬼ばかり(1990年~2005年、TBS)岡倉大吉役(後任は宇津井健)
- 介護ヘルパー殺人事件簿シリーズ(CX)
- 警察医・花井吾朗シリーズ(TX)
- 空と海をこえて(1989年、TBS)美山史郎役
- 八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ)松平頼純役
- 徳川慶喜(1998年、NHK大河ドラマ)中山五郎左衛門役
[編集] 吹き替え
- ローハイド
- がんばれ!ベアーズ ウォルター・マッソー役
[編集] CM
[編集] その他
- マキシシングル「渡鬼音頭」
- ときめきジャズ喫茶(NHKラジオ)
- 新潮CD「おはん」(新潮社)
- 宇野千代「おはん」(新潮文庫)の全文を朗読したもの。原作は中年男性の独白で構成されており、かつて声優で活躍していた藤岡の「声の名人芸」が聴ける。
- 1966年の紅白歌合戦の紅組応援団としても参加している。
[編集] エピソード
- ドラマでの父親役の印象が強いが、実生活では子供はいなかった。
- 名前は生まれたとき茂と名付けられたらしい。(2006年10月22日、Theサンデーより。)
- 晩年は若年層の一部を中心に、キムタクをもじった「フジタク」というニックネームでも親しまれた。フジタクは一時期痛快!明石家電視台の番組マスコット(着ぐるみ)になっていた。