葛城みち (街道をゆく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
葛城みち(かつらぎ-)は、司馬遼太郎の『街道をゆく』の第1巻第4章で、週刊朝日の1971年4月16日号から5月7日号に連載された。旅の時期は1970年/1971年。奈良盆地の東の山裾を『竹内街道』で、そして今回、その西の山裾を歩く。
- 対象地域
奈良県西部
- 登場する同行者
- 編集部のH氏
- 堀江さん(歯科医を引退した大和高田市の人)
- 三輪昌子さん(司馬と堀江さんの共通の友人)
- 編集部のHさん
- 全行程
葛城坐火雷神社(笛吹神社)-一言主神社-高鴨神社
- 関連司馬作品
目次 |
[編集] ■葛城みち
[編集] 話題
- 国つ神の『葛城国家』は天つ神の天皇家より古い
- 予め堀江さんが笛吹村を探しに自転車で探検してくれる
- 三輪昌子さんについて(終戦直前に関釜連絡船に乗り満州に行き、満州帝国の崩壊を目撃)
- 「笛吹」とは「火吹」の転訛したものか
- 「葛城坐火雷神社」は延喜式の大社に列し、社格がとびきり高い
- 笛吹神社は、ハハカ(波波迦、ウワミズザクラ)の木を焼いて卜占(太占)をつかさどっていた
- 笛吹神社は小さく、弥生時代の穀倉とそっくり。伊勢神宮の東宝殿に似ている
- 笛吹神社の神主は笛吹連より八十何代目かの古さである
[編集] 行程
笛吹神社-大和盆地を見下ろす小さな台地
[編集] 登場人物
[編集] 地名
[編集] 書名
[編集] ■葛城の高丘
[編集] 話題
- 雄略天皇の行状について
- 葛城氏が雄略天皇に滅ぼされたこと
- 一言主神が雄略帝そっくりの姿で現れ、ともに狩猟を楽しんだが、その後土佐国に流されてしまったこと
- 森脇という小さな村を目指して一言主のやしろに向かったこと
- 土佐に流された『葛城王朝』の遺民たちが、土佐の特異な精神体質の祖になったといえる
- 天平宝字8年(764年)に一言主命が都に帰ることを許される
[編集] 行程
森脇 - 一言主神社(高丘という台地)