税理士
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税理士(ぜいりし)は、税理士法に定める国家資格であり、税理士登録資格をもつ者のうち、税理士会に税理士登録をした者をいう。業務としては、他人の求めに応じ、各種税金の申告・申請、税務書類の作成、税務相談、税に関する不服審査手続き等を行う。税理士登録資格は、税理士試験に合格し、2年以上の実務経験を持つ者のほか、公認会計士、弁護士なども税理士登録することにより税理士になることができる。
税理士は、業務に付随する範囲において社会保険労務士業務の一部をなすことができる(社会保険労務士法27条・同施行令2条)。 また、税理士となる資格を有する者は行政書士登録を受け行政書士となることが出来る。(行政書士法2条)
2006年5月会社法施行にともない、公認会計士・税理士は会計参与という株式会社の機関のひとつとして、会社に参加しうることになった。
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[編集] 沿革
[編集] 税務代弁者の発生
明治維新以後しばらくの間、税制は旧慣によることとされていたが、版籍奉還・廃藩置県によって旧藩の債務を引き継いだ新政権は財政的な困難に陥り、これを契機として税制の整備がなされるようになった。 明治6年に地租改正条例の公布がなされ、土地所有者が納税義務者となり、収穫力に応じて決められた地価が課税標準とされた。明治初期は国税収入に占める地租の割合が8割を占めるなど、当時の租税は農業への課税が中心であった。
その後、明治20年に所得税、明治30年には営業税が国税として創設され、徐々に商工業者への課税が税全体に占める割合を高めていった。これは商工業者を納税者として参政権を付与することにより、地主階級との政治的不平等を解消することなどを目的としていた。この背景には、経済の発展によって営業収益が有力な税源となっており、また政府においては、とりわけ明治27年(1894年)に勃発した日清戦争により財政規模が拡大したことが挙げられる。
税負担の増加に対して、商工業者のなかには、退職税務官吏や会計の素養がある者に税務相談等を行ったり、申告代理を依頼する者があらわれた。このような税務相談や申告代理が今日の税理士業務の発端ではないかといわれている。
明治37年(1904年)の日露戦争勃発で、財政需要が拡大し増税がなされたのに伴ってこの傾向は顕著となり、税務相談や申告代理を専門に行う者も増えた。彼らは税務代弁者あるいは税務代弁人と呼ばれ、職業専門家として社会の中で一定の位置を占めるに至った。
[編集] 府県令による規制
税務代弁者が増える一方、これらの者の中に、納税者が税についての知識を有していないことに乗じて、不当な報酬を要求したり、税務官庁に対して何ら理由もなく異議申し立て等を提出させるなど税務官庁との紛争を起こさせようとする者があらわれるようになった。このような不適格者に対する規制として、大阪府で明治45年(1912年)に府令として「大阪税務代弁者取締規則」が制定され、同じく京都府では昭和12年(1937年)に「京都税務代弁者取締規則」が制定された。 この規則は、税務代弁者は警察の営業免許を受けるものとし、名義貸し禁止・信用保持義務を課すものであり、地域的な治安維持を目的として設けられたものであった。
[編集] 税務代理士法の制定
昭和2年(1927年)に、現在の公認会計士法の前身となる計理士法が制定された。これには税務に係る規定は置かれなかったものの、同法は会計業務について規定した最初の法律として位置づけられ、また計理士業務の実態は税務にも立ち入ったものであった。これに対して、税務代弁者についての法律としては、昭和8年3月第64帝国議会衆議院に「税務代理人法案」が提出されたが、計理士会のなかに反対の声が強く、廃案とされた。
その後、昭和12年(1937年)の日中戦争勃発から第二次世界大戦の時期にかけて、激増する戦費を調達するため度重なる増税がなされ、また税制度はより複雑となっていった。さらに、税務当局においては官吏の多くが兵員として出征していたことから人員不足に陥り、税務行政の執行に支障をきたすほどの状況にあった。 このため税務代弁者等の需要は高まったが、このような混乱した状況に乗じて、不適正な税務指導等を行って不当な報酬を納税者に要求する者が横行するようになっていった。このことから、税務代理士の制度を設け、その資質の向上を図ると共に、これらの者に対する取締りの徹底が必要であるとされ、昭和17年(1942年)に税務代理士法が制定されるに至り、弁護士、計理士(後の公認会計士)、国税従事者は税務代理士に許可、強制入会されることとなった。
[編集] 税理士法の制定
第二次世界大戦の終戦後、GHQによる民主化政策の一環として、計理士制度や弁護士制度とともに、税務代理士制度も見直しがなされることとなった。 昭和24年(1949年)に来日したカール・シャウプ博士を団長とするシャウプ使節団が発表した報告(いわゆるシャウプ勧告)において、税務代理を行う者の水準を向上し、納税者及び税務官公署のためのよりよい協力者となって、税務行政の適正円滑化を推進すべきであるとの観点からの勧告がなされた。
この報告を受けて、納税者等のためのよりよい協力者を増やすべく税務代理を行うものを「弁護士、会計士に厳しく限定せず、加えて税理士試験合格者、院免除者にも税務代理を行うことが出来るようにする」こととされた。 この結果、昭和26年(1951年)に税理士法が成立、同年6月15日に公布され同年7月15日に施行された。また、税理士法の施行に伴い、従前の税務代理士法は廃止された。
[編集] 税理士試験
例年、年一回、8月第一週の火、水、木に札幌市、仙台市、さいたま市、川越市、東京都、名古屋市、金沢市、大阪市、広島市、高松市、福岡市、熊本市、那覇市で行われる。
試験科目は11科目。必修科目、選択科目、選択必修科目がある。必修科目は簿記論、財務諸表論。選択必修は法人税または所得税(両方でもよい)。選択科目は相続税法、消費税法又は酒税法、国税徴収法、事業税又は住民税、固定資産税がある。このうち必修2科目、選択必修1科目、選択科目2科目(うち1科目は選択必修も可)の合計5科目合格により税理士となる。ただし、消費税法と酒税法、事業税と住民税はそれぞれどちらかしか選択できない。また一回の試験で合計5科目までしか受験できない。
合格発表は例年12月。合格は各科目60点以上だが、例年受験者の10~20%(科目により差がある)が科目合格していることから、実質的に競争試験と考えられる。合格すると通知書が送付されるほか、登録に必要な科目全てに合格すると、合格発表の日の官報に公示される。
税理士試験の特徴として科目合格制がある。合格した科目は税理士となるまで有効となる。5科目取得まで長期間を要することから(全受験者数のうち5科目合格に達する者は、例年2%前後)、非常に難関な資格試験のうちの一つである。 受験者のうち、修士の学位を持つ者は、試験の一部を免除される。
2001年度までに大学院へ入学した者のうち、商学の修士号を持つ者は会計系の科目(簿記論、財務諸表論)を、法学、または経済学のうち財政学を専攻した修士は、税法系の科目(選択必修及び選択科目)の試験が免除されていた。
しかし2002年以降に大学院へ入学した場合、会計系ならば会計に関する修士論文を、税法系ならば租税法(租税体系・法人税・所得税・消費税など)に関する修士論文を作成し、かつ、関係する科目1科目を合格することが、免除を受ける要件となった。つまり、例えば商学の修士号を持っていても、会計に関する修士論文を作成しており、かつ簿記論又は財務諸表論のどちらかに合格することにより、もう片方が免除されるのである。また論文審査があり、税理士試験と関係のない研究をした者は、例え修士号を取得しても、試験が免除されない(博士号であれば、全科目免除)。これは試験免除の申請用紙の様式が大幅に変化したことからも分かる。
ちなみに試験免除は修士論文に対して審査を行って決定されるため、修士号を持つ者でも、修士論文を作成していない者は、この免除が適用されない。
[編集] 指定研修
指定研修とは、税理士法に定める研修であり、修了することで試験科目の免除が受けられるようになる。 現在、指定研修は、税務大学校での本科研修、専科研修がある。
専科研修は、国税専門官が受講する研修である。