シャウプ勧告
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シャウプ勧告 (-かんこく)は、GHQの要請によって1949年に結成された、カール・シャウプを団長とする日本税制使節団(シャウプ使節団)の報告書の通称。1949年8月27日付と1950年9月21日付の2つの報告書からなり、日本の戦後税制に大きな影響を与えた。GHQから日本政府に対する勧告、という形式であり、そのためシャウプ勧告と呼ばれる。
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[編集] 日本税制使節団(シャウプ使節団)
シャウプは、ヴィクリーとウォレンとともに1949年5月10日に来日し、「世界で最もすぐれた税制を日本に構築する。」という理想に燃えて、同年8月26日に帰国するまでの4ヶ月弱の間に、政府、地方自治体の財政担当者、学者との懇談や、全国各地の視察を精力的こなし、極めて短期間で膨大な報告書をまとめあげた。同使節団のメンバーは次の通りである。
- カール・S・シャウプ:コロンビア大学商学部教授兼政治学部大学院教授(税制使節団長)
- ウィリアム・S・ヴィクリー:コロンビア大学政治学部大学院教授
- ウィリアム・C・ウォレン:コロンビア大学法学部教授
- ハワード・R・ボーエン:イリノイ大学商業・経営経済学部長
- スタンレー・S・サリー:カリフォルニア大学法学部教授
- ジェローム・B・コーエン:ニューヨーク市立単科大学経済学部教授
- ローランド・F・ハットフィールド:セント・ポール収税庁、税制調査局長
[編集] 内容
[編集] それまでの税制の問題点
報告書が指摘した、それまでの日本の税制の問題点は以下のようなものである。
- 複雑な税制
- 運用上の不公平
- 日本の税制は、その骨子の上では公平であるものの、運用上において不公平な点が多々ある、とした。
例えば、所得税については家単位(同居親族)単位での合算申告制であるため、給与所得者が不当に有利になっているという。勧告では、これらの不公平な点を取り除くことに重点を置いた。
このため、中央政府による地方財源の統制が過大であり、地方自治体の独立性が阻まれている、とした。
- 税務行政における問題
- 所得税は申告納税であるが、高額所得者が合法的に税金を安くするような「抜け道」がいくつもあり、
また帳簿等の不備による脱税も多かった。脱税は間接税や法人税においても多い、としている。 勧告では、これらの是正を目的とした。
[編集] 税制改革の勧告
報告書で勧告している、税制改革の骨子は以下のようなものである。
- 負担の公平性と資本価値の保全
- 直接税中心主義
- 間接税の整理
- 地方自治の独立性の強化
- 地方税源の拡充強化
- 国からの交付金の一方的決定の排除
- 国・地方自治体間の徴税と行政責任の明確化
- 平衡交付金の設置
- 税務行政の改善
- 前年実績を基礎とする予定申告
- 所得税申告書の簡易化
- 個人課税への移行
- 青色申告制度の導入
- 高額所得者の所得金額公示制度(長者番付)
- 目標額制度の廃止
[編集] 勧告とその後
日本政府は、勧告を元にして税制改革を行ったが、その過程で政治家の介入などにより、一部で勧告とは異なる税制となった。 このときに作られた税制の基本体系は現在でも大きくは変わっていない。
[編集] 税制改革
シャウプ勧告を元にした税制改革は1951年に行われ、その後数年のうちに運用上の困難などを理由に一部で改廃が行われた。
[編集] 直接税
- 所得税
- 基本的には勧告通りに行われたが、富裕税は運用上の困難から1953年に廃止され、所得税の最高税率を上げることで対応された。また、有価証券譲渡益課税も廃止された。
- 法人税
- これも基本的に勧告通りに行われたが、有価証券譲渡益課税の廃止などで個人所得税との関連性が失われた上、政策的に「租税特別措置」によって多くの減税が行われた。そのため、所得税に比べて法人税が有利となり、個人事業主の「法人成り」が増え、結果として税負担の不公平を招くこととなった。
[編集] 間接税
間接税は、勧告の直接税中心主義に従って、ほぼ勧告通りとなった。その後、一部で間接税が新設されたが、いずれも大きなものではなく、1989年に消費税が導入されるまで直接税中心主義は変わらなかった。
[編集] 地方税制
直接税、間接税ではシャウプ勧告通りの税制改革が行われたが、その一方で地方税制の改革においては、シャウプ勧告の理想はほとんど挫折した。平衡交付金は地方交付税に換骨奪胎され、国庫補助金制度で補助金の使途が国によって定められ、「三割自治」と呼ばれるように地方自治の独立性が失われた。その後長いことこの状態が続き、地方自治の独立性の強化は、2001年の小泉政権の誕生による「三位一体の改革」でようやく議論されることとなる。