渡辺具能
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渡辺 具能(わたなべ ともよし、昭和16年(1941年)4月7日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(4期)、国土交通副大臣。
生年月日 | 昭和16年(1941年)4月7日 |
---|---|
出生地 | 福岡県糟屋郡須恵町 |
出身校 | 九州大学工学部卒業 |
学位・資格 | 工学士 |
前職・院外役職(現在) | 国家公務員(運輸省) |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
国土交通副大臣 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
福岡4区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(山崎派) |
党役職(現在) | ‐ |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館631号室 |
ウェブサイト | 渡辺ともよし■よかばいサイト |
目次 |
[編集] 概要
- 福岡県糟屋郡須恵町出身。
- 派閥領袖の山崎拓が女性スキャンダルで窮地に陥ったとき沈黙を保っていた。しかし本人は官僚時代から部下や秘書の女性問題に厳しく、発覚次第辞職を求めるほどである。
- 地域ナンバー創設運動に取り組み、「宗像ナンバー」を提唱して選挙区である宗像地方の有権者に多大な期待をさせたが、他地域に先を越された。今後も実現の可能性は低く、運輸省出身であるにもかかわらずその力量に疑問符をつけられた。
- 2期目の選挙の時、地元のJR古賀駅にて選挙運動をしていたのだが、運動員が「古賀駅に快速列車を停車させたのは渡辺の功績です!」と我田引鉄を連呼するのみであった。ちなみにその時停車し始めた快速列車は朝夕に数本のみであった。のちにその他の駅もほとんど快速列車が全便停車することとなり、「渡辺の功績は何だったのだ」と言う声が多く聞かれた。
- 九州新幹線の建設受注企業から1995年~2001年で約1億3700万円(51社から)を超える献金を受けている。(平成15年(2003年)2月27日、衆議院予算委員会第八分科会において判明)。
- また全国の港湾工事の受注企業から1997年~2002年で約21億円を超える献金が自民党・泉信也(参院議員・運輸省出身)とともに受けていたことが判明している。(しんぶん赤旗 2004年11月・市民オンブズマン福岡)
- 新著の内容説明において『「安倍政権に欠かせない」と、中川幹事長から信頼される』と自画自賛している。[1]
- 港区内に約80m²の高級マンションを妻子名義で購入している。しかし自らは高輪議員宿舎に住みマンションを貸与する意向を示す。しかし平成18年(2006年)6月14日に衆院議院運営委員会の庶務小委員会で「東京23区内に自宅がある議員は議員宿舎に入居できない」基準を決定しており、また「誓約書を提出した上で入居を認める」としている事から基準に違反している可能性がある。2006年11月3日 毎日新聞
- 2ちゃんねるでは本人や秘書の私生活を含めてしばしば槍玉に挙げられる。
[編集] 顕著な支持離れ
渡辺の相次ぐ不祥事により、県連・後援会からは更なるスキャンダルの発覚を恐れ、次期総選挙での候補者を差し替える声が出ている。事実、一部の県議・首長が出馬の構えを見せている。一方の民主党は最重点選挙区として候補者の差し替えを検討している。
[編集] 学会批判→「比例は公明」
- 平成8年(1996年)の第41回総選挙において、新進党(当時)公認候補である東順治が公明系であったため激しい創価学会批判・東批判をした(結果は東が惨敗)。しかしそれ以降の選挙では自公連立により創価学会の協力を求めて「比例は公明」と訴え、その変節振りを批判されている。
[編集] 加藤の乱
- 平成12年(2000年)の加藤の乱において、第2次森内閣不信任決議案の採決で派閥領袖の山崎に従って欠席した。しかし渡辺自身は派内では直前まで決議案反対を主張、派内では「(党幹事長の)野中に篭絡された」と非難された。
[編集] 本会議「テトリス」事件
- 平成16年(2004年)5月、本会議中に携帯電話のゲーム「テトリス」に熱中する姿がテレビ中継され、国会内で謝罪した。
- 2ch・まちBBSにおいて、郵政選挙の際に「テトリス渡辺」と書いて投票しようという運動が盛り上がった。実際にどのくらい「テトリス渡辺」と書いて投票されたのか、「テトリス渡辺」と書かれた投票用紙がどのような扱いを受けたかは明らかになっていない。
[編集] 郵政民営化「棄権」→「賛成」
- 平成17年(2005年)7月、郵政国会において郵政民営化法案本会議採決で棄権。しかし参院で法案が否決され、衆院が解散された際は党執行部を批判した。しかし自らの公認問題につながることを恐れ、公示直前に賛成の意向を表明、郵政民営化支持の流れを受け自民党は大勝し、渡辺も当選、総選挙後に再提出された同法案に賛成した。このことで郵政造反組からは「(郵政棄権組の中でも)渡辺だけは許せない」との批判を受けた。棄権をした理由は単に郵政関係の党職域支部「大樹」へのパフォーマンスに過ぎなかったといわれ、「郵政がなければ落選していた」と陣営から囁かれている。
[編集] 証人喚問「演説」事件
- 同年12月14日、構造計算書偽造問題に関連して国土交通委員会で開催された元建築士の証人喚問において、既にマスコミ等で報じられた内容の解説に終始し、持ち時間42分間のうち証人が発言したのは約7分間だった。
- 証人にほとんど証言させることなく渡辺は演説に終始したが、「私は重要な証言を引き出したわけです」と誇ったため、マスコミはじめ各メディアや多くの国民からも批判が相次ぎ翌日には多くのサイトやブログで「証人喚問の質問は何だ!」と総ツッコミされた。自民党の住宅土地調査会会長代理である事から(前・会長は伊藤公介)厳しい追及を行わなかったといわれている。
- この証人喚問での渡辺の失態に関して、ラジオにて浅草キッドから「渡辺無能」と命名された。また皮肉にもこの証人喚問での不手際で渡辺の名前は全国区となった。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 昭和16年(1941年)
- 4月7日 出生。
- 昭和35年(1960年)
- 3月 福岡県立福岡高等学校卒業。
- 昭和39年(1964年)
- 平成3年(1991年)
- 3月10日 運輸省第四港湾建設局長。
- 平成4年(1992年)
- 8月10日 運輸省港湾技術研究所長。
- 平成6年(1994年)
- 12月1日 退官。
[編集] 政歴
- 平成8年(1996年)
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(福岡4区・自由民主党公認)当選。
- 平成12年(2000年)
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(福岡4区・自民党公認)2期目当選。
- 平成15年(2003年)
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(福岡4区・自民党公認)3期目当選。
- 平成17年(2005年)
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(福岡4区・自民党公認)4期目当選。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『液状化読本 : メカニズムと対策Q&A』山海堂、1995年6月
- 『液状化はこわくない : メカニズムと対策Q&A』山海堂、1995年7月、ISBN 4381009002
- 『本音でしゃべらないと! : これでハッキリ見える日本の問題』ウェイツ、2006年11月、ISBN 4901391755
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 渡辺ともよし■よかばいサイト(公式サイト)
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