清河長公主
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清河長公主(せいかちょうこうしゅ 生没年不詳 )は魏の公主の一人。曹操の長女で、生母は早世した劉夫人。曹昂と曹鑠は同母兄に当たる。なお、長公主は元公主(前例に前漢の魯元公主がいる)と同様に皇帝の長女の意味を著すという。なお、曹丕は彼女の異母弟に当たる。
[編集] 略要
[編集] 少女時代から大人まで
母が若死したために兄達と共に嫡母の丁夫人に養育されたと思われる。だが、兄達が相次いで死んだために、劉氏の子で生き残ったのは彼女のみになってしまったという。
歳月は流れ、父の曹操が彼女の夫となるべき人物を思考した。いろいろ考えた結果、曹操の幼なじみの丁沖の長男の丁儀が聡明で人望もあると聞いたので、嫡子の曹丕に問い質してみた。すると曹丕は「丁儀は眇(=びょう、隻眼のような容貌)なので、そんな醜い男では周りも納得しませんし、なによりも姉上がお可哀想でしょうな…」と述べ出した。さらに曹丕は、「この際は姉上の嫁ぎ先は伏波将軍の子林(夏侯楙)が最適でしょう。」と自分の親友でもあった“いとこ”の夏侯楙を婿候補に推薦した。長女の身を案じた曹操は、丁儀との婚約の構想を取り消して、彼女を夏侯楙に嫁がせたという。後に丁儀と直接に語り合って、彼の聡明さを改めて知った曹操は、やはり丁儀が娘の最適な婿であったと大いに後悔したという。この経緯を聞いた丁儀は激怒し、以前から犬猿の仲だった曹丕をさらに憎悪して、弟と共に曹植を太子候補として肩入れしたという。
[編集] 夫との確執
夫の夏侯楙は吝嗇で無類の女好きであり、この夫婦の仲は険悪だったという。 後に、夏侯楙の弟の夏侯子臧・夏侯子江兄弟は兄に「そち達は礼節が全く成ってないな。」と罵倒されて、兄を恨んだ。そこで夏侯兄弟は嫂(あによめ)の清河長公主と組んで、夏侯楙を曹叡に讒訴した。曹叡自身も長安で駐屯しながら、戦をしている自覚が無く女と戯れてばかりの一世代上の“おじ”に不快感を持っていたので、召喚してこれを処刑するように勅命を出した。ところが長水校尉の段黙が突然に帝の前に出て平伏して、「陛下に謹んで申し上げまする。子林さまは確かに吝嗇なお方ですが、これはどうも身内の争いのような気がしてなりません。ですから子林さまを処分するのに値はしません。それにあのお方は太祖武帝(曹操)の女婿で“おい”でもあらせられまする。どうかご慈悲の程を…」と堂々と弁護した。これを聞いた曹叡は、それ以上はなにも言えずに、夏侯楙を特別に許し、尚書として召還することに変更した。讒訴した三人はただ愕然として唖然としたという。
その後の清河長公主がどうなったかは、不詳である。