曹昂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曹昂(そうこう、? - 197年)は、中国後漢末期の武将。曹操の長男(但し若死にしたため、史書では曹操の後を継いで魏王朝を開いた異母弟曹丕を嫡男とすることが多い。「三国志演義」では妾腹の長子とされている)。字は子脩。同腹の弟に曹鑠が、末妹に清河長公主(夏侯楙夫人)がいる。
生母の劉氏は早く亡くなったため、曹操の正室であった継母の丁氏に育てられ、生前においては曹操の「嫡男」として扱われていた。二十歳で孝廉に推挙された。
父・曹操ほど優れた武将とは言えなかったが、温厚篤実な人物だったため、家臣からの信望も厚く、将来を期待されていた。 197年、父の曹操は、宛城の張繍(驃騎将軍・張済の族子)の降伏を受け容れたが、その際に張繍の亡き族父の張済の後妻で未亡人の鄒氏と密通した。そのため、それに激怒した張繍が、参謀の賈詡の進言を容れて曹操に夜襲を仕掛けて来た。敵に襲撃された曹昂は父を無事に逃すため、自らの愛馬を曹操に差し出した。このため、曹操は無事に逃れることができたが、曹昂は張繍軍の攻撃を受けて殺されてしまった。
後に豊(沛付近の地方)の愍王と謚された。その後、戦死した宛の哀王に封じられたという。
曹昂の死を知った育ての親・丁氏は曹操を恨み、自ら離別して実家に戻った。丁氏を愛していた曹操は、慌てて丁氏に謝罪して戻ってくるように願ったが、丁氏は二度と曹操の下へは戻らなかったと言われている。
その後、側室であった卞氏が丁氏に替わる正室となり、その所生の曹丕が曹操の後継者となるのである。