池山隆寛
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池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)のプロ野球選手(内野手)、野球解説者。兵庫県尼崎市出身。現役時代はヤクルトスワローズで19年間活躍し、引退後は野球解説者を務めた。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの1軍打撃コーチ。血液型はAB型。
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[編集] 来歴・人物
兵庫県の尼崎市立尼崎高等学校卒業。1983年同高校3年次に甲子園出場、3回戦で敗れる。高校全日本選抜チームに選ばれ、同年のドラフト会議で、ヤクルト、巨人、近鉄の3球団競合の末、ヤクルトが交渉権を獲得し2位指名で入団(1位は高野光)。大型内野手、10年に1人の逸材と言われて期待され、長距離打者としての頭角を現す。池山を初めて見た江夏豊は「中米の選手のようなバネを持つ選手」と評価している。
入団当初こそ打力よりも俊足巧打な点が評価されていた選手であったが、やがて足を高く上げた豪快なスイングに切り替え、本塁打も多かったが三振も多いというそのバッティングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた(他に、バックスクリーンへの美しい弾道のホームランが多かったことから、「ミスターバックスクリーン」の異名も)。同じく豪快なスイングが特徴の広澤克実とのコンビは、二人のニックネームを取ってイケトラコンビと呼ばれ、共にチームの看板選手として活躍し、1980年代後半から1990年代にかけてのヤクルトの人気を支えた。準永久欠番となっていた若松勉の背番号1を引き継ぎ、「ミスタースワローズ」とも呼ばれた。
1989年に在籍していたラリー・パリッシュを加えて、3人ともシーズン100三振を超えたことから「100三振トリオ」と呼ばれたこともある。1989年から、5年連続で30本塁打を記録。1990年には.303、31本塁打、97打点と、遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成し(これは、他には野村謙二郎と松井稼頭央の2人しか達成していない記録である)、同年8月23日の中日戦でサイクルヒットを達成した。
打撃での活躍が目立つ一方、堅実かつ華麗な守備での貢献度も高く、好プレー集の常連でもあった。1991年には、遊撃手として当時の日本新記録である守備率.9941を記録している。しかし、荒い打撃のイメージが強かったせいかゴールデングラブ賞の受賞はわずか1回に留まった。監督が関根潤三から野村克也に代わると、三振を減らすように命じられ、確実性は上昇したものの本塁打は減少の一途をたどる。この是非に関しては、ファンの間でも論議を呼んでいる。
長らく中軸打者を務めつつ、ショートという負担の大きなポジションを任されていたが、アキレス腱痛に悩まされ、宮本慎也の台頭により、1997年前後からサードへコンバートされた。さらに、岩村明憲へサードのポジションと背番号1を譲り、代打を務めることが多くなる。2001年は代打の切り札としてチームの優勝・日本一に貢献した。
2002年に長年の持病であったアキレス腱痛のため引退。現役最後の打席も豪快な空振り三振だった。通算成績は304本塁打、1440三振。引退後はフジテレビ・ニッポン放送・サンケイスポーツの野球解説者に転身した。2006年より、恩師野村監督の下で東北楽天の打撃コーチに就任し現在に至る。夫人は元モデルの真田ゆりか。誕生年・誕生日とも同じらしい。占い師によると出逢ったのは奇跡、との事。なお、池山自身大の競馬好きであり、ゆりか夫人とも競馬が縁で結婚したらしい。
また、1993年には小室哲哉作曲による「自由の女神」という楽曲を発表(この曲は1993年に発売された当時のヤクルトの一部の主力選手(池山のほかにも古田敦也、高津臣吾、高野光、広沢克己なども楽曲を提供した)が歌った楽曲を集めた「TO THE TOP VICTORY ROAD」というCDに収録されている)、小室ファミリー入りも果たしている。
[編集] 引退試合
消化試合にもかかわらず神宮球場には多くのファンが駆けつけ引退を惜しんだ。3番ショートでスタメン出場し、最近の引退試合としては珍しくフル出場した(途中からファーストに入る)。さらに延長戦まで持ち込まれる熱戦になり、池山の最終打席は奇しくもホームランが出れば逆転サヨナラと言う場面となった。結局長谷川昌幸の150km/h超のストレートの前に三球三振であったが、ファンはその池山らしい豪快なフルスイングに感動し、泣いている人もあった。引退挨拶では、同年7月に亡くなった応援団「ツバメ軍団」団長であった岡田正泰へも感謝の意を表した。
[編集] 通算成績
- 1784試合 打率.262(5811打数 1521安打) 304本塁打 898打点 108盗塁 1440三振 625四死球 819得点
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン5回(遊撃手 1988-1990年、1992-1993年)
- ゴールデングラブ賞1回(遊撃手 1992年)
- サイクルヒット(1990年8月23日の中日戦で達成。本塁打・単打・二塁打・三塁打の順。)
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
東北楽天ゴールデンイーグルス - 2007 | |
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00 森谷昭仁 | 0 佐藤宏志 | 1 塩川達也 | 2 渡辺直人 | 3 吉岡雄二 | 4 高須洋介 | 6 西谷尚徳 | 7 山﨑武司 | 8 礒部公一 | 9 鷹野史寿 | 11 一場靖弘 | 12 草野大輔 | 13 小倉恒 | 14 河本育之 | 15 福盛和男 | 16 山村宏樹 | 17 フェルナンデス | 18 田中将大 | 20 谷中真二 | 21 岩隈久志 | 22 愛敬尚史 | 23 関川浩一 | 24 山崎隆広 | 25 横川史学 | 26 有銘兼久 | 27 河田寿司 | 28 片山博視 | 30 永井怜 | 31 藤井彰人 | 32 沖原佳典 | 33 平石洋介 | 34 渡邉恒樹 | 35 大廣翔治 | 36 朝井秀樹 | 37 嶋基宏 | 38 山下勝充 | 39 井野卓 | 40 吉崎勝 | 41 青山浩二 | 42 ウィット | 43 徳元敏 | 44 中谷仁 | 45 川井貴志 | 46 鉄平 | 47 松崎伸吾 | 48 竜太郎 | 49 吉田豊彦 | 51 川岸強 | 52 山本大明 | 53 牧野塁 | 54 木谷寿巳 | 55 リック | 56 戸部浩 | 57 小山伸一郎 | 58 長坂健冶 | 59 富岡久貴 | 60 藤崎紘範 | 61 憲史 | 63 牧田明久 | 64 中島俊哉 | 65 松本輝 | 66 西村弥 | 67 銀次 | 68 枡田慎太郎 | 91 インチェ | 未定 林恩宇 | 121(育成選手) 金森久朋 | 126(育成選手) 中村真人 | |
19 監督 野村克也 | 78 橋上秀樹 | 71 紀藤真琴 | 76 杉山賢人 | 77 池山隆寛 | 86 星野おさむ | 80 西俊児 | 75 佐竹学 | 70 山田勝彦 | 87 二軍監督 松井優典 | 74 小野和義 | 85 広橋公寿 | 81 清家政和 | 72 上川誠二 | 90 芹澤裕二 | 84 高村祐 | 89 永池恭男 | 73 野村克則 |
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球団 | 編集 |