江ノ島電鉄100形電車
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100形電車とは、江ノ島電鉄(江ノ電)が1929年から製造した電車の一形式。現役時代末期から「タンコロ」として親しまれている。個別に「106形108号車」などと呼ぶ場合もあるがここでは100形としてまとめている。
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[編集] 概要
江ノ電初のボギー台車採用車として1929年に101形101~104号車が雨宮製作所で、1931年に105形105号が川崎車輌で、106形106~110号車が新潟鉄工所で、と合計10両が製造された。
101~105号と106~110号では車体の長さが微妙に違う他、ドアの構造や高床から低床になるなどかなりの違いがあった。更に105号のみメーカーが違うため101~104号とは微妙に違うところが存在した。
機器類は直接制御、単純な直通ブレーキ、Z形パンタグラフなど統一されていたものが大半である。
また新造グループ以外にも、以下のグループが100形として存在する。
- 111~112号:1934年に西武新宿軌道線から譲渡された。1924年に汽車会社で製造された高床式木造車。時に(普通車)と書かれる事があるが、これは納涼電車として特殊構造の車体のみ製造された111・112号車が存在し、夏期のみ普通車の111・112号車の台車を借用して運転されていたため。
- 113~114号(初代):1937年に目黒蒲田電鉄デハ15、16を譲渡されたもの。
- 113~114号(二代):初代が廃車になった後の1953年に、王子電気軌道出身の都電154,155の車体と都電杉並線261,262号(元西武新宿軌道線の41,42)の台車を組み合わせて就役した。
- 115号:1939年に廃止になった京王電気軌道八王寺線(旧武蔵中央電鉄)の6号を譲り受けたもの。
- 116~117号:1939年に東横電鉄玉川線より車体更新によって余剰となった車体を、京浜電鉄から台車をそれぞれ譲受し組み合わせた車輌。
[編集] 遍歴
[編集] 新造グループ
当時の江ノ電はホームが低かったためドアにステップがついており路面電車然としたスタイルであったが、1955年にホームの切り上げが完了したため、ドアを改造してステップを撤去する。
輸送力増強と近代化のため、101~104の4両が1957年に、106と109が1958年に連接台車構造の300形へ改造され、単車で残ったのはわずか4両となった。
更に105号は1970年の600形の入線時に、110号は1974年の藤沢駅高架化の際の600形出力増強にモーターを奪われて相次いで休車になり(どちらも1979年に除籍)、最後まで単車運転で活躍した107、108号も、スペース上ATSが搭載できないため1980年に廃車された。
納涼電車111、112号車は、1949年に窓の取り付けを行い200形(初代)の201,202へと改造された。その後の経歴は200形の項目を参照。
[編集] 譲渡グループ
- 111号(普通車):1948年に廃車。
- 112号(普通車):1953年に譲受した都電150形の車体に乗せ代え。1956年に連結車化改造され201(二代目)となる。
- 113号(初代):1948年に廃車。
- 113号(二代):1956年に連接車に改造(301F)。
- 114号(初代):1949年に廃車。
- 114号(二代):1956年に連接車に改造(301F)。
- 115号:1956年に廃車。車体幅の狭さをかわれてナローゲージの栃尾電鉄に譲渡されホハ23となる。1974年に廃車。
- 116号:1958年に廃車。
- 117号:1956年に廃車。
[編集] 保存車
108号車は極楽寺駅近くの極楽寺検車区に、専用の保管庫に納められて動態保存されている。イベントなどで走行することもある。通称「タンコロ」。また107号も集電装置をポールに変更し、七里ヶ浜の公園で保存されている。
108号はテレビで江ノ電が出演すると登場するシーンも多く、かつて日本テレビ「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画「電池で電車は動くか?」の実験に使われ、見事に乾電池だけで数メートル動いた。
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