江ノ島電鉄600形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
600形電車(600がたでんしゃ)は、江ノ島電鉄(入線当時は江ノ島鎌倉観光)に在籍していた電車。
目次 |
[編集] 概要
1970年東京急行電鉄デハ80形87~90を譲り受け、当線での規格に適合するよう改造したものである。この4輌は旧番104~107であったものを玉川線廃止時に改番し、世田谷線用として残存していたが、連結2人のり改造が実施されず、運用本数的にも余剰であったことから譲渡対象となった。実際、これら4輌が世田谷線分離後に稼動する機会はごく稀であったといわれる。
改造内容は改軌(1372mm→1067mm)、ステップの撤去、片運転台化、乗務員室の奥行き確保の為乗務員室脇の客用扉位置を移動、方向識別灯の撤去などとなっている。パンタ位置、制御方式(直並列間接非自動制御)は東急時代のままであった。主電動機は電動貨車、100形等から確保している。その後、制御方式は油圧カム式間接自動加速となり、主制御器、主幹制御器も交換されている。また、パンタ位置も2輌とも藤沢寄りから運転台寄りとなった。制動方式も従来のSME(非常管付三管式直通空気制動)に電磁制御弁が追加され、電磁SMEとなって応答性向上が図られている。
当初、主電動機は各車2台の計4台であったが、藤沢駅の高架化の際登坂力確保のため2台追加され6台になった。その際に主電動機は静岡鉄道から譲り受けたものと自社の100形から確保した。
前面形態は当初、東急時代の面影を色濃く残していたが、1970年代末から腰板に前照灯、尾灯を移設し、前面、側面戸袋窓のHゴム支持化などが行われ、更に前面車掌側の窓がアルミサッシ2段化されるなどの改造が繰り返された。
800形と共に全長が連接車より長く、重連対応化改造は実施されなかった。但し回送列車として600形が300形等の連接車を牽引する運用がされていた時期もある。また、実現はしなかったものの、主電動機供出で休車となっていたデハ100形105、110を付随車化して中間に連結し、3連化する計画は存在した。
塗装は当初、クリーム+朱の通称「赤電」塗装であったが、その後、緑+クリームの江ノ電標準塗装となっている。理由は海に近く、また鋳鉄制輪子の鉄粉を浴びてサビや汚れが目立ち易かったからと言われている。
[編集] 廃車とその後
1000形の増備に伴い、本形式は早期の廃車が計画されていた。実際603-604編成は1983年廃車されたが、残る601-602編成も1985年に運用終了記念として「赤電」塗装となるが(前面の塗り分けが登場時とは異なっていた)、実際に同編成が廃車されたのは1990年の事であった。その間に再度標準色に戻されている。これは、諸事情により800形を先に引退させる事なったことによる。
1990年廃車後、601号は東京都世田谷区の東急世田谷線宮の坂駅脇の宮坂区民センターに静態保存された。車体は東急ライトグリーン1色とされた一方、江ノ電の車号と社名(EER)が記入されている。傍には簡単な説明書きが置かれており、昼間時は中に入る事も出来る。主要機器は取り外されているが、保存状態は良好。世田谷線に在籍した玉川線時代からの在来車が全て廃車解体されている為、東急玉川線車輌の保存車は本車と電車とバスの博物館のデハ200形204のみである。
また、編成を組んでいた651号(1988年に602号から改番)は 神奈川県藤沢市の和菓子店「扇屋」に前面のみ保存されている。内部は和菓子製造の作業場となっており、運転台機器などは一切撤去されている。電車正面のサボ受けには、「江ノ電もなか」と書かれたサボが入れられている。「扇屋」では江ノ電の車両を模した「江ノ電もなか」が販売されている。「扇屋」は江ノ島電鉄江ノ島駅 - 腰越駅 間にあり、走行中の車内からでも見ることが出来る。因みに江ノ電もなかの箱にも「赤電」がある。
[編集] 車両諸元
- 車種:半鋼製2軸ボギー電動車
- 電気方式:直流600V
- 集電装置:菱形パンタグラフ
- 主電動装置:東洋583 つりかけ式
- 制御装置:東洋ES-630 単位スイッチ式間接手動制御
- 台車:ブリル76E
- ブレーキ装置:電磁SME(非常管併設電磁弁付三管式直通空気制動)
[編集] 車歴
- 時期不明- 鎌倉駅側のパンタグラフの取り付け位置変更。
- 1974年 - 江ノ島電鉄藤沢駅の高架化に伴い、モーター出力増強。
- 1980年 - 前面窓をHゴム化、および、前照灯をシールドビーム2灯化。
- 1982年 - 右前面窓をアルミサッシ化。
- 1983年 - 603-604が廃車。
- 1988年 - 602号を651号に改番。
- 1990年 - 601-651が廃車、形式消滅。