水島の戦い
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水島の戦い | |||
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戦争: 治承・寿永の乱 | |||
年月日: 1183年(寿永2年)11月17日 | |||
場所: 備中国水島 (現 倉敷市) | |||
結果: 平氏軍の勝利 | |||
交戦勢力 | |||
源氏 | 平氏 | ||
指揮官 | |||
矢田義清 | 平宗盛 | ||
戦力 | |||
不明 | 不明 | ||
損害 | |||
不明 | 不明 | ||
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水島の戦い(みずしまのたたかい)は、1183年(寿永2)11月17日、備中水島において源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
[編集] 概要
当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。平氏を追討するため、1183年11月に源義仲軍は屋島方面へ進軍していったが、四国へ渡海する前に、水島付近で平氏軍に敗れた。
平氏は、軍船同士をつなぎ合わせ、船上に板を渡すことにより、陣を構築した。源平両軍の船舶が接近し、互いに刀を鞘から抜いて、今にも白兵戦を始めようかという時、平氏の射手が源義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。最終的に平氏軍は勝利し、源義仲は京都へ敗走することとなった。この勝利により、平氏軍は再入京を企て、摂津福原まで戻り、一ノ谷の戦いを迎えることとなる。
[編集] 関連項目
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