歯車式計算機
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歯車式計算機 (はぐるましきけいさんき)とは、歯車の組み合わせにより、演算を行うことができる機械。歯車などの機械構造のみによって形成されているため、機械式計算機ともいう。
1642年、ブレーズ・パスカルによって、初めて発明された。 このパスカルの歯車式計算機は、加減算しかできなかった。 後1670年代、ライプニッツ(1646年-1716年)によって歯車式乗除算機が発明される。
これを発展させたものが19世紀後半に商品化されて普及し、1960年代に大型コンピュータや電卓が普及するまで、盛んに用いられた。
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[編集] パスカルの計算機
ブレーズ・パスカルが1645年に発明した、世界で二番目の歯車式計算機は Pascaline または Arithmetique と呼ばれている。ちなみに世界初の歯車式計算機を発明したのはウィルヘルム・シッカード(1623年)である。
パスカルは1642年、彼が19歳のときから計算機について研究を始めている。徴税官だった父の手伝いをしていたパスカルは、仕事を減らすための道具を作ろうと考えた。1652年までにパスカルは50台もの試作機を作ったが、売れたのは1ダース強である。高価であったことと複雑であったこと(加えて加減算しかできず、減算のやり方が難しかった)によってそれ以上売れることはなく、パスカルは1652年に計算機を作るのをやめたのである。そのころにはパスカルの興味は他に移っていて、まず気圧の研究、さらには哲学へと向かっていた。
Pascaline は十進数を使った機械である。しかし当時のフランスの通貨は十進数ではなく、イギリスのポンド、シリング、ペンスと似ていた。したがって、金額を計算するのに Pascaline を使おうとすると、計算結果をさらに変換してやる必要があった。1799年、フランスはメートル法に切り替えた。このとき、パスカルの基本設計にインスパイアされた職人がでてきたが、彼らも商業的には成功しなかった。
最初の Pascaline は 5個のダイヤルがあり、後には 6ダイヤルや 8ダイヤルのものが作られている。最大のもので 9,999,999 までの数値を扱うことが出来た。各ダイヤルは数値のうちの一桁に対応し、計算結果は上部の窓に表示される。歯車は一方向にしか回らないため、負の値を直接計算することはできない。減算をするには 9の補数表現にして加算する必要があった。ユーザーを助けるため、9の補数を入力すると上部の窓には元の数値が表示されるようになっている。
[編集] ライプニッツの計算機
ゴットフリート・ライプニッツは1672年に Stepped Reckoner という歯車式計算機を発明した。これは、加減算だけでなく乗除算も可能であった。彼は「立派な人間が労働者のように計算などという誰でもできることに時間をとられるのは無駄だ。機械が使えたら誰か他の者にやらせるのに」と言って、Stepped Reckoner を発明したと言われている。ライプニッツは二進記数法の唱道者でもあり、今日のコンピュータに影響を与えた。Stepped Reckoner の重要な機構は歯車の回転によってステップ回転をするドラム(段付歯車)であり、これが後の機械式計算機に大きな影響を与えた。
[編集] アリスモメーター
世界で初めて量産された歯車式計算機は、チャールズ・ザビエ・トーマス・ド・コルマが1820年ごろ発明したアリスモメーター(Arithmometer)である。しかし、量産とは言っても月産1~2台で、しかも当初は信頼性が低かったという。1880年代には信頼性も高まったが、爆発的な人気を呼ぶということはなかった。その操作方法は鉄筆でホイール上の数字をダイアルし、手でクランクを回して計算を行うというもので、非常に時間がかかった。
[編集] オドネルの計算機
テオフィル・オドネル(Theophil Wilgodt Odhner、1845年 - 1903年)は、スウェーデン人の技術者であり、1874年にアリスモメーターを改良した計算機を開発した。彼はその設計を公表したため、世界各国でそれに基づいた機械が作られた。日本ではタイガー計算器が開発された。タイガー計算器は1970年代まで販売された。
[編集] コンプトメーター
コンプトメーター(Comptometer)は機械式(あるいは電気機械式)加算機の一種である。コンプトメーターはキーを押すだけで駆動される最初の加算機であった。キーは桁ごとに0から9までの数字ごとに配置されている。これにより数値の入力が格段に高速化された。
ドール・E・フェルトが1887年に特許を取得した。彼は、Felt and Tarrant Manufacturing Company を設立し、「コンプトメーター」は同社の商標として使われたが、一般に加算機を表す言葉としても浸透した。
主に加算のために設計されたが、四則演算全てを実行可能であった。用途に応じて様々なキー配列(30キーから100キー以上)のコンプトメーターが製造された。例えば、簿記、時間計算、英系重量単位の計算などである。
数値の各桁の数字を同時に押すことができるため、熟練した操作者は電卓よりもずっと速く数値を入力することができた。そのため、1990年代まで細々と使われていたが、使える機械が無くなったことから、現在ではコンピュータで全て代替されるようになっている。
[編集] バロースの加算機
ウィリアム・S・バロースは1888年8月21日、加算機(Adding machine)の特許を取得した。バロース・アッディング・マシン社(Burroughs Adding Machine Company)は後にバロースと改称。電子式会計機やメインフレームを製造し、後にスペリー社と合併してユニシス社となった。発明家バロースの孫ウィリアム・S・バロウズは作家として有名である。
バロースの加算機の特徴は計算経過と結果を印字して紙に記録を残せるようになっていたことである。これによって利便性が格段に向上した。
加算機市場は20世紀に入ると驚異的な成長を記録することとなる。多数のベンチャー企業がこの市場に参入したが、コンピュータ時代にうまく対応できたのはバロースだけだった。
[編集] 外部リンク
- Early Calculators ヒューレット・パッカードの電卓博物館の一部(英文)
- タイガー手廻計算器資料館