武蔵溝ノ口駅
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武蔵溝ノ口駅(むさしみぞのくちえき)は、神奈川県川崎市高津区溝口にある東日本旅客鉄道(JR東日本)南武線の駅である。
当駅および隣接する東急田園都市線溝の口駅を乗換駅とする一部区間での連絡運輸の取り扱いを行っている。
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[編集] 駅構造
上り川崎方面は1面1線(1番線)、下り立川方面は1面2線(2番線・3番線)の島式ホームであるが、それぞれのホームは対向しておらず、ホームの半分が重なる程度にずれている(写真参照:なお、写真は上りホーム移設前のものである)。 川崎方面行きは当駅始発ではない電車が1番線に、当駅始発が主に3番線に発着する(早朝に2番線から始発する電車がある。また、朝夕ラッシュ前の時間帯には1番線からの始発電車が存在する)。立川方面行きは基本的に2番線に発着する。(3番線は武蔵溝ノ口駅を始発とする上り電車の他、臨時電車の「快速川崎―奥多摩ハイキング号」の待ち合わせをする下り電車が使用する。また、3番線始発の下り登戸行きが平日朝に1本だけ存在する。) また3番線の隣に川崎側が行き止まりの留置線が二本あり、主に登戸駅始発の電車が使用する。そのほか、1番線の川崎方で分岐して上りホーム手前で行き止まりとなる短い側線が二本あり、まれに保線機械などが留置されている。
ごく最近まで首都圏の乗り換え駅とは思えないような古いつくりで、常設の改札も東口にあるだけだったが、1998年、駅前再開発に伴い橋上駅舎化された。 以前は上りホームの立川方に臨時改札があり朝のラッシュ時間のみ使用されていたが、橋上駅舎化とともに廃止された。橋上駅舎と自由通路は広く造られたものの、上りホームの階段・エスカレータが大変狭く、また利用者が一点に集中する構造のため恒常的な混雑が問題化し、改築後にホーム位置をずらす工事が追加施工された。
駅構内は終電から朝 4時30分まで閉鎖されるが、自由通路は 24時間通行可能である。
- のりば
1 | ■南武線 | 武蔵小杉・川崎方面 |
2 | ■南武線 | 登戸・府中本町・立川方面 |
3 | ■南武線 | (当駅始発/待避線) 武蔵小杉・川崎・登戸・府中本町・立川方面 |
- バリアフリー
- エレベータ、エスカレータ、車椅子対応トイレ、点字運賃表が設置されている。
[編集] 駅構内設備
- 売店等
- 食堂
- 理髪店
- QBハウス武蔵溝ノ口駅店 - 上りホーム立川方
[編集] 利用状況
2005年度の利用者数は1日平均69,175人である。
[編集] 駅周辺
高津区役所の最寄り駅でもあり、商業・行政共に高津区の中心となっている。
[編集] 駅名の由来
現在の当駅周辺の地名は「溝口」(みぞのくち)であるが、以前は「溝ノ口」とも表記されており(溝口_(川崎市)#地名の表記についてを参照)、当初はそのまま駅名が付けられる予定になっていた。
しかし、当駅開業前に既に国鉄播但線溝口駅(みぞぐちえき)があり、また国鉄線との貨物列車(※)の直通運転も考慮された事から、開業直前の1927(昭和 2)年 1月、当駅および中原町駅(現在の武蔵中原駅)に旧国名「武蔵」を冠するよう駅名変更手続きがされ、当駅は当初より「武蔵溝ノ口」駅として開業した。
また、当駅の数ヶ月後に開業した玉川電気鉄道(後に東急大井町線、現在の田園都市線)の駅は当初「溝ノ口」と称していたが、1966年に現駅名「溝の口」に改称された。このとき東急の他の駅(自由ヶ丘、久ヶ原など)でも同時に「ヶ」「ノ」などが平仮名に改められている。
なお、いずれの場合も読みは同じ「みぞのくち」である。
※過去に南武線ではコンテナや専用貨物、および軍事貨物などの輸送を取り扱っていたが、現在は南武線(浜川崎支線を除く)内に貨物取扱駅はなく、コンテナ貨物は専ら近隣の武蔵野南線梶ヶ谷貨物ターミナル駅で取り扱っている。
[編集] その他
駅の所在地は溝口であるが、駅の北東が溝口で、東南と西南は久本、北西は下作延である。溝口の地名の元となった多摩川の支流平瀬川は、現在は国道246号線津田山陸橋の北側、津田山駅付近で交差する。かつては当駅付近を流れていたが、津田山(七面山)をトンネルで抜けて多摩川に注ぐように改修された。
[編集] 歴史
- 1927年(昭和2年)3月9日 - 南武鉄道川崎~登戸間の開通と同時に開業
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 南武鉄道国有化
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道発足
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴いJR東日本に継承