森山眞弓
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森山 眞弓(もりやま まゆみ、昭和2年(1927年)11月7日 - )は日本の政治家。自由民主党所属衆議院議員。環境庁長官、内閣官房長官、文部大臣、法務大臣を歴任する。
津田塾専門学校(現津田塾大学)卒業後、女性として初めて東京大学法学部入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。卒業後、国家公務員上級甲試験(現在の「国家公務員採用Ⅰ種試験」にあたる)に合格し労働省に入省する。1980年労働省を退官し参議院議員通常選挙に立候補し当選する。夫の森山欽司とはおしどり議員として知られた。平成元年(1989年)第1次海部俊樹内閣で環境庁長官として初入閣するが、女性スキャンダルで官房長官の山下徳夫が辞任したため、後任の官房長官に就任する。官房長官時代に内閣総理大臣杯を土俵に上がって授与しようとするも、日本相撲協会に拒否された。森山が法務大臣時代は日本の法相としては多くの死刑執行命令を下したことで知られる。また、夫婦別姓推進派である。少年漫画の性表現に厳しいことでも知られ、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の推進者でもある(ただし少女漫画やレディースコミックの性表現には寛容である)。
また郵政国会では自民党党紀委員長として、郵政民営化法案に反対した党員に対して離党勧告および除名を宣告した。
生年月日 | 1927年11月7日 |
出身地 | 東京都 |
出身大学 | 東京大学法学部 |
前職 | 労働省婦人少年局長 |
役職 | 裁衆議院教育基本法改正特別委員会委員長 |
世襲の有無 | (夫は元衆院議員、 運輸大臣の故・森山欽司) |
選挙区 | 栃木2区 |
当選回数 | 4回(参院3回) |
所属党派 | 自由民主党(高村派) |
党の役職 | 司法制度調査会長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館543号室 |
ウェブサイト | 森山眞弓公式Webサイト |
[編集] 略歴
- 1944年 - 東京都立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)卒業
- 1947年 - 津田塾専門学校(現・津田塾大学)外国語学科卒。
- 1950年 - 東京大学法学部法律学科卒。労働省入省。
- 1970年 - 労働省労政局労政課長
- 1973年 - 労働省大臣官房国際労働課長
- 1974年 - 労働省婦人少年局長
- 1980年 - 労働省退官。参議院議員当選
- 1984年 - 外務政務次官
- 1985年 - 国連婦人の10年世界会議日本政府首席代表
- 1986年 - 参議院議員再選。
- 1987年 - 参議院外務委員長
- 1989年 - 環境庁長官
- 1989年 - 内閣官房長官(女性初)
- 1992年 - 参議院議員三選、文部大臣
- 1995年 - 自民党人事委員会委員長
- 1996年 - 衆議院議員当選、自由民主党行政改革推進本部副本部長
- 1997年 - 自民党文教制度調査会長、自民党総務会副会長
- 1998年 - 自民党政務調査会副会長、衆議院外務委員会筆頭理事、自民党総務会副会長
- 2000年 - 衆議院議員再選、自民党文教制度調査会長、自民党総務会会長代理
- 2001年 - 法務大臣(~2003年)
- 2003年 - 衆議院議員三選、自民党党紀委員長、裁判官訴追委員長、自民党司法制度調査会長。
- 2005年 - 衆議院議員四選、二度目の自民党党紀委員長就任。
- 2006年 - 衆議院教育基本法改正特別委員会委員長
[編集] エピソード
ハンセン病裁判の原告団体の代表者が森山真弓法務大臣(当時)に面会をしたとき、相手に向かって「私は法律の専門家じゃないからよく分からない」と発言した。法務の最高責任者たる法務大臣の発言としては前代未聞で周囲も絶句した。この発言に対しては批判が集まったが、本人の認識を証明する発言であったのも事実である。
[編集] 著作
- 『法務大臣の八八〇日』河出書房新社、2004年8月。
- 『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』ぎょうせい、2005年3月。(共著)野田聖子
- 『わたしの呼び名は「まあもちゃん」』岩波書店、2002年11月。
- 『春夏秋冬』河出書房新社、2001年1月。
- 『よくわかる児童買春・児童ポルノ禁止法』ぎょうせい、1999月11月。
- 『この日この時』東京書房社、1993年1月。
- 『非常識からの出発-女性官房長官・激動の六か月-』小学館、1990年11月。
- 『女と国会とコーヒーカップ-ナイロビへの道-』小学館、1985年10月。
- 『うさぎのじょぎんぐ : 労働省婦人少年局長の覚え書き』 サンケイ出版、1980年4月。
- 『各国法制にみる職場の男女平等』東京布井出版、1979年2月。
- 『各国の職場における男女平等法』教育社、1979年3月。
- (編共著)『太郎』東京書房社、1973年7月。
- 1973年(昭和48)1月に高校1年生で事故のため逝った長男について、友人や先生、親戚、家族が綴った追想・追悼文集。
(翻訳)
- キャスリン=ノット著『福祉国家の明暗-スウェーデンの印象-』河出書房新社, 1964.9,
- 環境庁長官
- 1989年
-
- 先代:
- 山崎竜男
- 次代:
- 志賀節
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