松葉会
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松葉会(まつばかい)は、東京都台東区西浅草に本拠を置く日本の指定暴力団。 構成員は約1400人。 松江八束建設業暴力追放対策協議会によると、勢力範囲は関東以北の1都1道8県に及び、構成員組員約1500名、準構成員(準組員)約600名を擁しているといわれる。
その前身は、1936年頃に談合屋の河合徳三郎門下の関根 賢が、東京 墨田、江東方面の博徒や愚連隊を糾合した「関根組」であり、事務所を東京 墨田区向島2丁目に構えた。 発会式は日蓮正宗常泉寺で行われたとされ、戦後の事務所開設には自由党総裁・鳩山一郎の花輪が飾られた。
関根から盃を下ろされた乾児の数は一説に4000人といわれ勢力を誇った関根組も連合国軍総司令部による団体等規正令により解散させられるが、その勢力は占領が終わった後の1953年に松葉会として結集。
60年安保闘争前夜から反動団体としての性格を強め、1960年には政治家とヤクザの癒着を批判した毎日新聞社を襲撃。 この頃より傘下の組員の中でも幹部クラスの活動は多岐に渡り、芸能社、右翼団体、株主総会の総会荒らしと悪評を高める。 株主総会の歴史でも恥部とされる「王子製紙」、「近江絹糸」の騒動も彼らの仕業である。 珍しいのは「競売屋」なる職業であり、一時は東京の地方裁判所で不動産物件が競売にふされる会場に素人の人間が入れない有様であった(競売不成立で安く物件を手に入れるのが目的)。
世論の高まりを背景とした警察の取り締まり(第一次頂上作戦)により松葉会は解散。 1966年には元会長の藤田卯一郎が急死。 旧松葉会傘下の各組は個別に活動を続けていたが、1968年11月には松友会として再結集の動きを見せる。
以後、1971年には関根の乾児であった佐藤栄助を首魁として松友睦と名称を改め、1973年4月には やはり関根の乾児であった銀座の菊池徳勝を会長として「松葉会」として復活した。
1994年2月、東京都公安委員会から指定暴力団に指定された(2003年に4回目の指定(2006年期限))。
構成団体には江戸時代からの名門博徒も多い。
[編集] 歴代会長
- 初代:藤田卯一郎(上萬一家五代目総長)
- 2代目:佐藤栄助
- 3代目:菊地徳勝
- 4代目:佐藤栄助
- 5代目:中村益大
- 6代目:牧野国泰(北関東大久保一家十代目総長)