常泉寺
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常泉寺(じょうせんじ)は、東京都墨田区に所在する日蓮正宗の寺院。山号は久遠山(くおんざん)。
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[編集] 起源と歴史
- 1596年(慶長元年)の創建で、当初は天台宗だった。その後身延山の日蓮宗傘下を経て、5代日優の時代に大石寺末寺となり、日蓮正宗となる。江戸時代には徳川家や各大名等の帰依・寄進等を受けた。徳川家より寺領30石を受け、当時は、南は墨田区・源森橋付近より北は現在地までの広大な寺域を擁し、塔中(本行坊・眞光坊等)・末寺もあった。江戸を扱う古地図には必ず常泉寺の名が記されている。現在、6代将軍徳川家宣正室・天英院殿が奉納した宗祖日蓮大聖人真筆の大曼荼羅本尊1幅をはじめ、種々の宝物を所蔵する、同宗の古刹寺院である。
- 43代の住職のうち40代日淳(大石寺65世)、42代日顕(大石寺67世)をはじめ18名が総本山大石寺の法主として登座している。
- 現在の住職は43代・藤本日潤(日蓮正宗重役)である。
[編集] 伽藍
- 住所は〒131-0033 東京都墨田区向島3丁目12番15号。
- 現在の伽藍は、山門・本堂・客殿・宝蔵・大玄関・庫裡・納骨堂・墓地よりなる。
- 墓地には、6代将軍徳川家宣の養女・政姫や、江戸時代の医者・朝川善庵、加賀前田家・大聖寺藩14代前田利鬯(としか)らの墓が存在する。
- 境内には、墨田区史跡に指定されている石碑がある。西郷隆盛が江戸に滞在したとき、宿としたのが常泉寺であることを記したもので、本堂の左側奥にひっそりと立っている。現在の常泉寺には、石碑以外に西郷隆盛に関係するものは何も残っていない。また本堂も昭和37年になって新築されたコンクリート製で、江戸時代の建物ではない。
- 昭和3年、言問橋の完成にともない新たに作られた言問通りは、常泉寺の境内の中央を分断する形となった。政府は常泉寺に対し、代替地を用意し寺院を移転するよう提案したが、常泉寺は歴史が古いことを重要視し寺域を縮小して現在地にとどまった。ちなみに、道路(言問通り)を隔てた向かい側には同じく日蓮正宗の本行寺がある。本行寺は、江戸期の常泉寺に属していた坊「本行坊」がその起源である。
- 創価学会の戸田城聖の会長就任式は1951(昭和26)年5月3日同寺院で行われた。
- 関根組の発会式は1953(昭和28)年、同寺院で行われた。関根組は現在の広域暴力団松葉会の前身であるとされている。未だ暴力団がやくざと呼ばれていたころの話であるが、同寺院は暴力団とは何の関係も無い。また、当時を知る同寺院の檀家の方の話では、組長は立派な信仰の人であったと評価している。
- 関根組の組長は大都映画社長で、東京市参事、大和民労会会長の河合徳三郎の門下であるが、河合の墓も常泉寺の境内にある。
- 常泉寺の古い本堂は1961(昭和36)年、千葉県の日蓮正宗清涼寺(しょうりょうじ)へ移築された。