松山市営球場
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松山市営球場 | |
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Matsuyama Municipal Baseball Stadium | |
施設統計 | |
所在地 | 愛媛県松山市堀之内(松山城山公園内) |
開場 | 1948年7月3日 |
閉場 | 2003年5月31日 |
所有者 | 松山市 |
管理・運用者 | 松山市 |
グラウンド | 内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | なし |
設計者 | |
使用チーム、大会 | |
収容能力 | |
25,000人(公称) | |
規模 | |
グラウンド面積:-m² 両翼:90.8 m 中堅:118.9 m |
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フェンスの高さ | |
2.5 m |
松山市営球場(まつやましえいきゅうじょう)は、かつて愛媛県松山市の松山城山公園内にあった野球場。松山市が運営管理していたが、老朽化のため2003年5月を以って閉場した。
目次 |
[編集] 歴史
1948年7月開場。1953年に開催予定だった国民体育大会に合わせて整備された。建設にあたっては市民の勤労奉仕などで労力を賄った。開場当初は盛り土スタンドだったが、1967年に鉄筋コンクリート造のスタンドが完成した。この間高校野球、社会人野球などアマチュア野球公式戦が行われた他、プロ野球公式戦・オープン戦も開催された。
だが、1980年代以降は老朽化の著しさが問題となり、市は公園内にある競輪場など他施設と併せて改築・改修などを検討したものの、城山公園は松山城を控える国の史跡であるため容易に改修を行うことができず、結局現地での施設維持は極めて難しいと最終的に判断され、市は1993年3月、市街地西部で整備が進められていた松山中央公園内に新たな市営球場をはじめスポーツ施設を建設することを発表した。こうして松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)が2000年5月に完成。また2003年6月には松山中央公園サブ野球場(マドンナスタジアム)も完成した。これに伴い市営球場は同年5月31日を以って閉鎖され、施設は2004年に撤去された。また2005年7月、市は「市営球場の思い出の品」として、市営球場で使用していた黒土を市民に配布した。
[編集] 主なエピソード
- 池山隆寛(現東北楽天ゴールデンイーグルス打撃コーチ)はヤクルトスワローズでの現役時代、毎年1月にこの松山市営球場で自主トレーニングを行っていた。当初は広沢克己と2人で行っていたが、その後は自ら若手を引き連れての合同練習形式となり、「池山道場」と揶揄されたこともある。
- スタンドに老朽化が目立つようになってからはプロ野球の開催数が減少したが、1999年3月13日に行われたオープン戦・オリックス・ブルーウェーブ対中日ドラゴンズの試合前、中日監督星野仙一が粗悪なグラウンド状態に激高し「こんなボコボコのグラウンドで、選手が怪我をしたらどうするんだ」と不快感を露にした。
[編集] 施設概要
- 両翼:90.8m、中堅:118.9m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- スコアボード:パネル式
- 広島市民球場をモデルに設計されたといわれており、表示部の配置は同球場のパネル式当時のものに類似している。
- 照明設備:なし
- 収容人員:25,000人(公称)
- 内野:13,400人、外野:11,600人
- 内外野とも座席はなく、スタンドは全てコンクリート階段。
- 内野スタンドのネット裏部分に上屋架設