東京国際マラソン
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東京国際マラソン(とうきょうこくさいマラソン)とは、東京を舞台に繰り広げる国際マラソン。レースは国立霞ヶ丘陸上競技場をスタートして男子は平和島口を折り返し、女子は大森海岸交番前を折り返す国立競技場に戻る42.195㎞。
女子は、世界初の女性限定のマラソンとして1979年11月に第1回大会が開催された。
男子は1981年2月に読売日本テレビ東京マラソンとして開催。その翌月、東京-NY友好マラソンが行われたが、翌年以降、偶数年を読売、奇数年を産経主催で行われていた。2007年から本競走と東京シティロードレースをまとめる形で「東京マラソン」が行われるため、2006年をもって27年の歴史にピリオドを打った。
女子については「東京マラソン」に統合されず、2007年以降も「東京国際女子マラソン」として開催される予定。将来的には東京マラソンと東京国際女子マラソンの統合も目指す事になっている。
目次 |
[編集] 概要
- 主催
- 主管
- 東京陸上競技協会
- 協賛
- 男子
- ※男子はこの3年間、協賛会社が毎回の様に変わる。東京メトロは大会主催者が異なる2005年、2006年と2年連続して冠スポンサーとなった
- 女子:資生堂(~1999年)→みずほフィナンシャルグループ(2000年・2001年)→大和証券グループ(2002年)→NTTドコモ(2003年~)
[編集] 参加資格
- 一般選手の場合
- 日本陸上競技連盟の登記・登録者
- 満19歳(開催日現在)以上
- マラソンが男は2時間30分、女は3時間15分以内、30km走が男1時間42分、女2時間13分以内、ハーフマラソンが男1時間10分、女1時間30分以内、女子のみで20km走が1時間25分以内、10000m走が37分以内の上記いずれかの記録保持者。または日本陸上競技連盟が認めた者。
記録は一昨年の開催月以降のもので、日本陸上競技連盟の公認競技会の記録に限る。
- 招待選手の場合
- 外国招待選手(約15名)日本陸上競技連盟が推薦する者
- 国内招待選手(約15名)日本陸上競技連盟が推薦する者
なお、参加料は3000円である。
[編集] 男子・歴代優勝者
日付 | 氏名 | 所属 | タイム |
---|---|---|---|
1981年2月8日 | 喜多秀喜 | 神戸製鋼 | 2時間12分04秒 |
1981年3月1日 | ロドルフォ・ゴメス | メキシコ | 2時間11分00秒 |
1982年1月31日 | V.シドロフ | ソ連 | 2時間10分33秒 |
1983年2月13日 | 瀬古利彦 | エスビー食品 | 2時間08分38秒 |
1984年2月12日 | ジュマ・イカンガー | タンザニア | 2時間10分49秒 |
1985年2月10日 | 宗茂 | 旭化成 | 2時間10分32秒 |
1986年2月9日 | ジュマ・イカンガー | タンザニア | 2時間08分10秒 |
1987年2月8日 | 谷口浩美 | 旭化成 | 2時間10分06秒 |
1988年2月4日 | アベベ・メコネン | エチオピア | 2時間08分33秒 |
1989年3月19日 | 谷口浩美 | 旭化成 | 2時間09分34秒 |
1990年2月12日 | 中山竹通 | ダイエー | 2時間10分57秒 |
1991年2月10日 | アベベ・メコネン | エチオピア | 2時間10分26秒 |
1992年2月9日 | 森下広一 | 旭化成 | 2時間10分19秒 |
1993年2月14日 | アベベ・メコネン | エチオピア | 2時間12分00秒 |
1994年2月13日 | スティーブ・モネゲッティ | オーストラリア | 2時間08分55秒 |
1995年2月12日 | エリック・ワイナイナ | ケニア | 2時間10分31秒 |
1996年2月12日 | V.リマ | ブラジル | 2時間08分38秒 |
1997年2月9日 | 清水康次 | NTT中国 | 2時間10分09秒 |
1998年2月8日 | アルベルト・フズダド | スペイン | 2時間08分01秒 |
1999年2月14日 | ゲルト・タイス | 南アフリカ | 2時間06分33秒 |
2000年2月13日 | ジャフェット・コスゲイ | ケニア | 2時間07分15秒 |
2001年2月18日 | 高橋健一 | 富士通 | 2時間10分51秒 |
2002年2月10日 | エリック・ワイナイナ | ケニア | 2時間08分43秒 |
2003年2月9日 | ゼベダヨ・バヨ | タンザニア | 2時間09分07秒 |
2004年2月8日 | ダニエル・ジェンガ | ケニア | 2時間08分43秒 |
2005年2月13日 | 高岡寿成 | カネボウ | 2時間07分41秒 |
2006年2月12日 | アンベッセ・トロッサ | エチオピア | 2時間08分58秒 |
[編集] 女子・歴代優勝者
年 | 氏名 | 所属 | タイム |
---|---|---|---|
1979年 | ジョイス・スミス | イギリス | 2時間37分48秒 |
1980年 | ジョイス・スミス | イギリス | 2時間30分27秒 |
1981年 | リンダ・スタウト | カナダ | 2時間34分28秒 |
1982年 | ゾーヤ・イワノワ | ソ連 | 2時間34分26秒 |
1983年 | 佐々木七恵 | エスビー食品 | 2時間37分09秒 |
1984年 | カトリン・ドーレ | 東ドイツ | 2時間33分23秒 |
1985年 | カトリン・ドーレ | 東ドイツ | 2時間34分21秒 |
1986年 | ロザ・モタ | ポルトガル | 2時間27分15秒 |
1987年 | カトリン・ドーレ | 東ドイツ | 2時間25分24秒 |
1988年 | アウロラ・クーニャ | ポルトガル | 2時間31分26秒 |
1989年 | リュボフ・クロチコ | ソ連 | 2時間31分33秒 |
1990年 | 謝麗華 | 中国 | 2時間33分04秒 |
1991年 | 谷川真理 | 資生堂 | 2時間31分27秒 |
1992年 | リズ・マッコルガン | イギリス | 2時間27分38秒 |
1993年 | ワレンティナ・エゴロワ | ロシア | 2時間26分40秒 |
1994年 | ワレンティナ・エゴロワ | ロシア | 2時間30分09秒 |
1995年 | 浅利純子 | ダイハツ | 2時間28分46秒 |
1996年 | 藤村信子 | ダイハツ | 2時間28分58秒 |
1997年 | 伊藤真貴子 | 第一生命 | 2時間27分45秒 |
1998年 | 浅利純子 | ダイハツ | 2時間28分29秒 |
1999年 | 山口衛里 | 天満屋 | 2時間22分12秒 |
2000年 | ジョイス・チェプチュンバ | ケニア | 2時間24分02秒 |
2001年 | デラルツ・ツル | エチオピア | 2時間25分08秒 |
2002年 | バヌーエリア・ムラシャニ | タンザニア | 2時間24分59秒 |
2003年 | エルフィネッシュ・アレム | エチオピア | 2時間24分47秒 |
2004年 | ブルーナ・ジェノベーゼ | イタリア | 2時間26分34秒 |
2005年 | 高橋尚子 | ファイテン | 2時間24分39秒 |
2006年 | 土佐礼子 | 三井住友海上 | 2時間26分15秒 |
[編集] コース
- 国立競技場をスタートして東京ドーム、東京タワー、皇居、東京駅、増上寺、品川駅、大井競馬場、平和島競艇場等の有名な施設を通過して大森海岸交番前の平和島口を折り返して行った道を帰って来る。特に35㎞地点を過ぎた後に迎える、水道橋駅前から四谷にかけての高低差は凡そ30M近く(ビルに直すと11階建てに匹敵する高さ)にも及び別名・強力坂とも言われ恐れられており世界でも屈指の難コースと言われる。