日時計
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日時計(ひどけい)は、影を利用して視太陽時を計測する装置。紀元前3000年、古代エジプトで使われていたが、起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられる。日晷儀(にっきぎ)、晷針。
古代ギリシア及び古代ローマで改良され完全なものができた。これはアラビアに伝えられた。(アラビアの天文学ではこれをノーモン(gnomon)という。)のちに、機械時計が発明されると、それにとってかわられた。現在は、主に庭園や建造物の装飾の一部として設置される。
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[編集] 概説
昼間しか使えないこと、晴天時しか使えないことを除けば、古代以来、誰でも見たり使ったりできる時計は日時計のみであった。現在もアナログ式時計の針が右まわりなのは、北半球で日時計の針がこの向きで回ったためである。
中世に発明された機械時計は当初、誤差が大きかったので、これを補正するためにも日時計は使われた。
[編集] 日時計の設置
日時計は緯度によって、指針を傾ける角度を変更しなければならない。大量生産された日時計は、設置場所に合わせて角度を変更する必要がある。日時計の指針の角度が固定されていて変更できない場合は、文字盤そのものを傾けて設置することにより補正する。イギリスでは指針の角度は45°のものが普通である。
完全に正確に動作させるには、日時計の指針は正確に天の北極(ほぼ北極星の方向)または天の南極を向かせる必要がある。日本国内では方位磁針の北は、天の北極から数度ずれているので、磁針を使って設置することは推奨されない。
視太陽日は完全には一定ではない。これは、地球と太陽の距離や、地球の運動速度が一定でないことに起因する。これによる補正は最大で16分29秒になる。また、夏時間を採用する国ではこれを補正する必要もある。補正用の表は「均時差表」として日時計に添付され、当日の日付が分かると、日時計の示す時刻から何分加算または減算すればよいか分かるようになっている。
日時計の示す時刻は、設置場所の時刻であるが、日本国内ではこれを日本標準時(明石時刻)に調整する必要がある(その他の国でも、必要であれば、それぞれの国や地方の標準時刻に調整する)。日本標準時との差は、設置者が計算しなければならない。5°ごとに20分の差が生じるので、たとえば明石から東へ5°離れた東京では、日時計の時刻から20分を減ずる。固定式日時計では、この差は均時差表の中に組み入れるか、文字盤の時刻をずらすことにより修正する。ただし文字盤の表示をずらす方式は、真ん中が12時ちょうどにならず美しくない。
[編集] 設計と設置
最も単純な日時計は、板の上に垂直に棒を1本立てたものである。アラビアの天文学ではノーモンという。このまま指針を天の北極に向ける。文字盤の目盛りが均等になるという表示上の利点がある。この型のものを日本語ではコマ型日時計という。形状は、丸い円盤の中心に棒を差し、そのまま斜めに立てかけたものを連想すると分かりやすい。これに似た形式のもので、赤道式日時計がある。文字盤がボウル状になっているだけで、目盛りの振り方は同じである。この形式のものは、第一次世界大戦前まで、フランスで列車を正確に走らせるために使用された。最も正確な日時計はイスラム教の宗教暦(ヒジュラ暦)上の日付をはかるためにインドのジャイプールの権力者(カリフ)が石で造った赤道式日時計である。これは記念碑をも兼ねている。
建築物の壁にとりつけるものもある。この場合、文字盤の目盛りは三角関数を使用して計算されるため均等にならない。製造者たちは板を文字盤(face)、棒を指時針(gnomon)と呼ぶ。板は明るい色が望ましい。これは影が暗いためである。棒は、棒でも構わないが、強度の問題があるため、三角形の板状にされることが多い。これをさらに金属で補強することもある。最高級品は大理石で製造される。腐食を抑えるためブロンズで製造されることもある。この構造のものは日本語では垂直式日時計という。建造物が完全に真南を向いていなくても、設計により補正は可能。ただし、1日で最大12時間までしか表示できず、本体が建物自身の影に隠れると使用できない。これを防ぐには複数の壁面に日時計を設置することになる。日本にはあまり見られないが、ヨーロッパ諸国では、多くの人が見られるよう、教会の壁などに巨大なものが設置された。
[編集] 庭日時計
庭日時計は最も一般的なもので、文字盤の目盛りは垂直式と同じく三角関数を使用して計算されるので均等にならない。原理は垂直式と同じである。文字盤は地面と平行に取り付ける。地面そのものに設置するのではなく、台をつくりこの上に設置することで、見やすくなる。文字盤をガラス板などで作り、高い地点に設置することにより、下方から見上げるよう設計する方法もある。太陽さえ出ていれば、1台で日の出から日没まで使用できる。
この構造のものは、日本語では水平式日時計という。日本では垂直式よりはこちらのほうが多く設置される。
[編集] 携帯日時計
携帯日時計は野外天体観測のため、または宗教的行事を行うために中世に開発された。最も成功した携帯日時計は、二連祭壇画(diptych)という、2枚の文字盤が、ヒンジで固定されているものだった。指針は、文字盤の間に通された紐である。紐がぴんと引っ張られたときに、2つの文字盤はそれぞれが水平式と垂直式の文字盤となった。最高級品は、白い象牙に黒のラッカーで文字を記したもので、紐は絹糸かリンネルで作られた。
二連祭壇画のヒンジが地面と平行で、2つある文字盤が同じ時刻を指したとき、時計は正確に視太陽時を示した。さらにこのとき、ヒンジは真北を示す。またこのとき、紐でできた指針と地面との角度は、その地の緯度をも示すことになる。
2つある文字盤による調整は、正午前後と日没直前、日の出直後は使用できない。しかし、午前9時か午後3時ごろの誤差は4分である。
これは、二連祭壇画が、方位磁針や緯度計測器の役目も果たしたということを意味する。いくつかの二連祭壇画は、緯度計測のために、目盛りとおもりのついた紐もついていた。また、地理的な角度測定をするための羅針図付きのものもあった。大きな二連祭壇画は古代において(船などの)操縦に使用された。小さくポケットサイズのものもあった。
最も小さな携帯式日時計は、穴付きの突起がついた指輪や、ネックレスにつけられた装飾だった。これは日時計を所持していることを知られないようにするための細工でもあった。日光に当てると突起部分の影は指輪自身にかかり、その内側に記された目盛りで時刻を知ることができる。この形状のものは、観測者は今が昼か夜か、午前中かどうかは知っている必要があった。突起についた穴の位置は緯度により調整する必要があるため、この部分は動かして穴の位置が変えられるようになっていた。これは主に塔などに幽閉された人物などがこっそり使うためのものだった。
最近は、アメリカ軍の特殊部隊員の間で、ナイフに日時計を刻むのが流行している。万一、機械時計が故障しても、これは動作するためである。
日本では、江戸時代に紙の携帯式日時計があった。これは、指針の部分がこよりになっており、立てて影の長さでおよその時刻を知るというもので、当日の日付さえ分かっていれば、それなりに正確に時刻を出すことができた。これは旅人が好んで使い、シーボルトの記述にも残っている。
[編集] 柱型日時計
古代ギリシャ人は、柱型日時計(plekhnaton)を開発した。柱型日時計は、水平または椀状の文字盤に、垂直な指針を立てたもので、指針の影の先端が時刻を示す。太陽の高さは季節により変わるので、同じ時刻でも影の先端の位置は変わる。そこで、毎日、同一時刻の影の先端を結んだ線を文字盤に刻めば、補正なしで1年中どの日の時刻も示すことができる。もちろんこの文字盤の線は現代ではあらかじめ計算が可能である。柱型日時計には、晴天時に文字盤の上に人が立つと、その影の先端が時刻を示すという、「かげぼうし日時計」と呼ばれる、面白い構造のものもある(後述)。柱型日時計は、季節により太陽の位置が変化するため、文字盤の表示が複雑になるという欠点がある。通常は、文字盤を2枚用意し、半年ごとに取り替えることで、文字盤の複雑性を回避する。
非常に正確な柱型日時計は、公的広場に文字盤を描き、旗竿のポールを指針にする。
[編集] 室内柱型日時計
アイザック・ニュートンは、南に窓がある部屋用の室内柱型日時計を開発した。これには柱がない。窓から入った光を、固定した鏡で受け止め、天井と壁に文字盤をつくった。指針は、鏡によって反射した光そのものである。鏡が小さければ、光の点となって天井や壁を照らすため、これを利用した。毎日定時ごとに天井に印をつけていき、1年かけて時計は完成した。この時計は驚くほど精密に動作した。
その後、1943年に、オルシュティンにあるニコラウス・コペルニクスの居城オルシュティン城で、同じ原理のものが発見された。このため、この型の日時計の発明者はコペルニクスとされる。コペルニクスのものは、城内のある場所に鏡を置くと、反射した光が壁の印を伝うというものだった。ただし、コペルニクスは、1日の間で時刻を知るためにこれを用いたわけではなく、1年の長さを厳密に求めるために使ったと考えられる。しかし、1年という巨大な時間を厳密に計測するための装置であるので、これを日時計と呼んでも特に問題は生じないだろう。
[編集] かげぼうし日時計
かげぼうし日時計(アナレマチック日時計)は、英語ではカルジオイド日時計と呼ばれる、柱型日時計の一種である。
これまでの固定型日時計は、指針は文字盤に固定されているのが普通であるが、かげぼうし日時計は、指針が固定されていないのが特徴である。この型は、日付により指針を立てる位置を若干微調整することにより、正確な時刻を求めることができる。多くの場合、観測者自身が文字盤に書かれた日付の上に立ち、その影が時刻を示す。
柱型日時計は、文字盤がかなり複雑になる傾向があるが、この型は文字盤がきわめて簡易である。この型の日時計は、単に地面に文字盤が描かれているだけで、指針が存在しないためである。日本では、西脇市黒田庄町と瀬戸市民公園にあるものが知られている。
[編集] 正正午
現代、東洋のいくつかの国の郵便局は、正午のみを示す固定式日時計を使用して局内の機械時計を合わせている。 さきにも述べたとおり、地球の運動速度が一定でないため、太陽は正午に真南に来るとは限らない。しかし、毎日、正午に日時計の指針の先端の位置を記しておき、これを1年続ければ、翌年以降も正午のみを示す日時計を作ることが可能である。さらにこの影の位置を天文学的な計算から算出し、正午専用日時計をあらかじめ作って設置することも可能である。正午ちょうどの太陽は、数字の8の字を寝かせたような、不規則な位置の変化をしたのち、1年かけてまた元の位置に戻る。
[編集] 日時計にちなむ文献
- 日時計 クリストファー・ランドン 丸谷才一訳
- The Sundial Primer (English)
英語版を元に書き換えましたが後半分かりませんでした。誰か直してください。