青銅
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青銅(せいどう、ブロンズ、bronze)とは銅Cu を主成分とし、錫Sn を含む合金である。
一般にいう青銅色は彩度の低い緑色であるが、本来の青銅は光沢ある金属で、その色は添加物の量によって様々である(例えば黄金色など)。添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるように純銅に近い赤銅色に、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となる。そのため、古代の銅鏡は錫の添加量の多い白銀色の青銅を素材とするものが多かった。硬度は錫の添加量が多いほど上がるが、同時にもろくなるので、青銅器時代の青銅製の刀剣は黄金色程度の色彩の青銅が多く使われている。また中世・近世の銅鏡はもろい白銀色の青銅ではなく、強靭な赤銅色の青銅で鋳造し、水銀で磨いてアマルガムを生成させて鏡面とする方法が主体となっている。
しかし、青銅は大気中で徐々に酸化されて表面に炭酸塩を生じ緑青となる。そのため、年月を経た青銅器はくすんだ青緑色、つまり前述の青銅色になる。
青銅色の名からも分かるように一般的には青銅といえば緑色と思われており、現存する古代の青銅器を見ると全て青銅色であるがゆえ、古代人が青銅を重用した理由を理解し難い面がある。しかし、本来の青銅は前述の通り黄金色や白銀色の金属光沢を呈すもので、その見た目から金銀に準じる金属として利用された面が多分にあると考えるのが妥当である。例えば先述のように銅鏡の反射面は白銀色に輝いていたし、弥生時代の国産鏡には錫の含有量を下げて黄金色に鋳造して、太陽を模したのではないかと考えられるものがある。
現在は青銅製の芸術作品の多くはアンモニア塗布などの方法で酸化皮膜を形成して着色される事が多いが、コンスタンティン・ブランクーシのように磨き上げて黄金色の金属光沢の作品仕上げをする芸術家もいる。
青銅には、適度な展延性と、鋳造に適した融点の低さや流動性があり、鉄が銅よりも安価かつ大量に供給されて普及する以前には、もっとも広く利用されていた金属であった(青銅器時代)。また、錫の含有量によって硬度が変わり、少ないと柔らかいが展延性があり、多いと硬度が上がる。
古代中国では、展延性に劣るもろい鋳鉄を「悪金」と呼ぶのに対し、青銅を「吉金」「美金」と称した。
当初大砲の鋳造に用いられたので砲金ともいう。
[編集] 歴史
紀元前2000年頃、初期のメソポタミア文明であるシュメール文明で発明された。イラン高原は、銅と錫、燃料の木材が豊富であった。また、多くの銅鉱石は錫を同時に含むので自然に青銅が得られた。この場合、産地によって錫などの配合比が決まっており、また錫と同時に添加されることの多い鉛の同位体の比率が産出鉱山ごとに異なるので、分析によりその原産地を推定できる。
青銅は銅などに比べれば硬く、研磨や鋳造・圧延などの加工ができたので、斧・剣・壷などに使われた。
また、初期の大砲は材料として青銅を用いたので、砲金と呼ばれるようになったが、これは鋳鉄にとって代わられた。
[編集] 日本
紀元前3世紀頃、稲や鉄とともに九州に伝わった。青銅も鉄も最初は輸入されていた。
紀元前1世紀頃、国内での生産が始まった。ちなみに鉄の国内での生産(製鉄)は紀元後5世紀頃だと思われている。
2世紀には大型銅鐸が作られ、技術は東アジアでもかなり高いレベルに達していた。