新保守主義 (アメリカ)
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アメリカ合衆国における新保守主義(しんほしゅしゅぎ、英:neoconservatism:ネオコンサバティズム、略称:ネオコン)は、新保守派ムーブメントのひとつ。米国において、今日のタカ派外交政策姿勢に非常に影響を与えている。
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[編集] アメリカ新保守主義の呼称
Neoconservatismの直訳として新保守主義が使用されている、意味としては日本の国粋右翼が近い。また、いわゆる主義や思想とは違い、アメリカローカルの特色が強いため、他の国では使われず、アメリカの政治史を説明する際に使われる(よってこの記事名は厳密には誤りである)アメリカ内では民主党などによって蔑称として使われ、略称としてNeocon(ネオコン)と呼ばれる事が多い。
[編集] 新保守主義者の歴史
[編集] 起源
アメリカ合衆国の新保守主義の源流は、1930年代に反スターリニズム左翼として活動したトロツキストたち、後の「ニューヨーク知識人」である。彼らの多くは、公立大学の中で最も歴史のある大学の一つでありニューヨーク市マンハッタンに所在するニューヨーク市立大学シティカレッジ「CCNY」(ニューヨーク市立大学群の起源となった大学)の卒業生である。ニューヨーク市立大学シティカレッジは、高度に選択的な承認基準と自由教育により、20世紀前半から中期にかけて「プロレタリアのハーバード」として賞賛されていた。それは、ハーバード大学をはじめとするアイビー・リーグの私立学校が、大多数のユダヤ系アメリカ人や有色人種たちに関し排他的な入試制度を持っていたからである。
当代のニューヨーク知識人には、社会学者ダニエル・ベル、マーティン・シーモア・リプセット、リチャード・ホフスタッター、マイケル・ハリントン(シカゴ大学出身。左翼から右翼に移行した知識人を批判的に「新保守主義」を名づけたのは、彼といわれている。)、政治学者マーティン・ダイアモンド、文芸批評のアーウィング・ハウなどがおり、こうした綺羅星のような知識人群のなかに、のちに新保守主義者のリーダーになる文芸批評のアーウィング・クリストル、その妻であり歴史家のガートルード・ヒンメルファーブ、ネーサン・グレイザー、シドニー・フックらががいた。したがってニューヨーク知識人のなかで新保守主義へと転向したのは、一部に過ぎない。また、重要な人物としてマックス・シャハトマンがあげられる。ポーランド移民である彼は、反スターリニズムの立場からトロツキズムの党派(社労党―独立社会主義同盟など)運動家、理論家として活躍した。ハリントンやハウは、彼に魅了されトロツキスト派になった(後に決別)。
第二次世界大戦後、シャハトマンのグループは民主党に入り込み、党内極左派として UAW(全米自動車労組)などを基盤に活動していく。人数的には少数派だったがAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)の会長や政府高官にメンバーを送り込んでいた。1970年代に入るとさらに保守化し、シャハトマンの死後このグループは分解の方向にむかった。このシャハトマン・グループ傘下の青年社会主義同盟にはいっていたのがジーン・カークパトリックやウォルフォウィッツである。シャハトマンの新保守主義への貢献は、戦前にはトロツキスト・グループを形成し青年ユダヤ人に知的公共空間を提供したこと、戦後はユダヤ人たちが米国の現実政治のなかで影響力を与えていく回路をつくりあげたことだろう。
なお、新保守主義の「理想主義」は彼らが青年期に信奉したトロツキズムと関係があるかのような主張があるが、トロツキーの「永続革命論」や世界革命論とネオコンの対外政策とは全く異質であり、根拠のない俗説である。そもそも世界革命論はトロツキーの専売特許ではなく、レーニンやローザなど革命的マルクス主義の共通理解である。アーグイング・クリストルは1970年後半に「トロツキズムの思い出」という論文(邦訳なし)を書いているが、それを読む限り論理的な継承関係はない。それよりも、クリストルは、ニューヨーク市立大学シティカレッジ内の少数派セクトとして火花のような共産党批判のビラをかき、猛烈なアジテーション、オルグ展開したことを懐かしんでいる。こうした青年期に培われた活動家としての能力が、後の新保守主義派の組織化のうえで大きく役立ったのは間違いない。
[編集] レーガン政権下のネオコン
1970年代になると、ジョージ・マクガバンが民主党の大統領候補に指名されたことを契機として、リベラルな民主党員から新保守主義へと宗旨替えした政治学者・ジーン・カークパトリックが、彼女自身の古巣であった民主党への批判を強めるようになった。カークパトリックは、1980年の大統領選の末に共和党ロナルド・レーガン政権が誕生すると、レーガンの外交顧問に就任し、後に国際連合大使も4年勤めた。 カークパトリックの外交政策は一貫した反共だったが、同時に極右政権に寛容な政策であったことも注目すべき点である。とくに第三世界の貧困層や被抑圧層・下層民による社会革命を不法なものとし、民主的に選ばれたチリのサルバドール・アジェンデ政権のような左派政権の打倒、右翼の専制政権の樹立を是とした。この原則に則り、レーガン政権下のアメリカは、 チリのアウグスト・ピノチェト政権、フィリピンのフェルディナンド・マルコス政権、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)を合法化した白人政権といった、反共専制政権を積極的に支持するに至った。
ただし、レーガン政権は第三世界の社会革命を押さえ込むための長期介入は行わず、圧倒的な戦力を誇示するかのようなグレナダ侵攻やリビアへの軍事攻撃以外は、 急進的な左翼政権であったニカラグアのサンディニスタ革命政権の打倒、中米の反共勢力への軍事援助などのような小規模かつ短期的な介入を好んだ。また、ソビエト連邦によるアフガン侵攻の際には、CIAを通じて現地のイスラム主義者を支援し、ソ連軍と戦わせ、ソ連を弱体化させることに成功した。
レーガン政権はソ連を「悪の帝国」とし、スターウォーズ計画などの軍備拡大を推し進めたが、財政を圧迫し、赤字が増大した。政権後期はソ連が弱体化、変質したこともあって、柔軟姿勢へ転換し、冷戦の終結に導いた。
[編集] ネオコンとイスラエルの関係
ネオコンを支えているのは共和党のイスラエル政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ(イスラエル)・ロビーである。アメリカのユダヤ系市民はアメリカの総人口3億人に対して600万人に満たないが富裕層の割合が多く、アメリカの国防・安全保障政策に深く関わっている。歴史的に数多くの差別を受けてきた経緯からかつてはリベラル派の民主党支持者が多かったが、民主党のビル・クリントン政権が進めた中東政策に対する不満から、共和党に鞍替えしている有権者が多い。共和党の掲げる中東の民主化政策が結果的にはイスラエルを利することになるからである。また、同時にイスラエルの右派政党リクード党も共和党と利害が一致しているため手を結ぶことが多い。このような経緯から、2001年に登場した共和党ジョージ・W・ブッシュ政権には数多くのネオコンが参入しており、同時多発テロ以降の強硬政策を推し進めた。
[編集] ブッシュ政権下のネオコン
- リチャード・チェイニー (w:Richard Cheney)、米国副大統領、前国防長官、前ハリバートン会長
- コンドリーザ・ライス (w:Condoleeza Rice)、国務長官、前大統領補佐官(国家安全保障担当)
- ドナルド・ラムズフェルド (w:Donald Rumsfeld)、国防長官
- ジョン・ボルトン (w:John R. Bolton)、国務次官補、国際連合大使
[編集] 他の米国保守思想との違い
元来アメリカ合衆国には三つの保守があったと言われている。 一つは、ヨーロッパの保守思想に近い伝統主義。 一つは、リバタリアニズム。 一つは、反共主義(反共産主義)。
[編集] 伝統主義
アメリカ合衆国には伝統及び原点回帰すべき過去が存在しないがゆえ、アメリカ合衆国の伝統主義者は「安定した秩序への回帰」への希求を至上命題とする傾向が強い。近年では宗教(キリスト教)への接近、宗教の社会的立場の復権運動と結びつける思想が強くなっている。
[編集] リバタリアニズム
経済的自由と個人的自由の双方を重視する思想。いかなる領域においても政府の介入を基本的に認めない。 「大きな政府」に傾きがちなリベラルはもちろん、個人の私生活を束縛しようとする伝統主義とも対立する。 また、新保守主義とは異なり、軍備拡張や徴兵制、海外派兵には否定的である。 (リバタリアニズムはアメリカの伝統に根ざした思想であるが、狭義の「保守」ではない点に注意。)
[編集] 反共主義
ネオコンは、この反共主義からの分派と言われており、この反共主義の考え方を多く受け継いでいる。反共主義は外交において積極介入の立場をとり、消極的な介入しかしないリバタリアニズムや伝統主義者と度々外交政策や安保政策で衝突した。
[編集] アメリカ合衆国の保守合同
重要なのは、アメリカ合衆国の保守の立場を採る組織や個人の間では、必ずしも利害が共通しているわけではないと言う事である。
例えば、キリスト教精神に重点を置く伝統主義者と、完全なる自由競争を唱えるリバタリアニズムの間で、極めて深刻な政治対立を引き起こした。
また、外交政策や安全保障政策に重大な関心を払わない伝統主義者とリバタリアニズムは、反共主義の積極介入主義との間で、極めて深刻な政治対立を引き起こした。
この三つの保守思想を一つの大きな「保守主義」としてまとめあげる事に成功したのが、1955年に創刊されたナショナル・レビューと言う雑誌である。
この雑誌の編集者の ウィリアム・バックリー・ジュニア は、上記三つの保守派に対し、それぞれの問題の起因はリベラリズムにあると主張した。「リベラリズムは反共主義者の嫌う共産主義を容認し、リベラリズムは伝統主義者の嫌う伝統の破壊者であり、リベラリズムはリバタリアニズムの嫌う大きな政府の支持者である」とし、リベラリズムと対立する三つの異なる思想を統合したのである。
この試みは1960年代のアメリカの保守主義運動と連動してひとつの潮流を作り出した。
1964年、共和党大統領候補バリー・ゴールドウォーターの有名な演説が行われた。
「自由を守るための急進主義は、いかなる意味においても悪徳ではない。そして、正義を追求しようとする際の穏健主義は、いかなる意味においても美徳ではない」
保守派はこの演説を大歓迎した。そして、このゴールドウォーター演説に影響された多くの保守派の政治家が、アメリカの次代を担うことになる。
また重要な指摘として、それまでの共和党は、現在のような保守主義ではなかったと言う点がある。共和党が保守派を利用したのではなく、保守派が共和党を利用したのである。これにより、共和党の保守化が進み、1980年代のレーガン政権誕生へと繋がってゆく。
2001年、保守派は「思いやりのある保守主義」を掲げ、それらの政治勢力に後押しされる形でブッシュ政権が誕生した。前述のような背景、思想を持つ人物がブッシュ政権の中枢を担っている。
[編集] ネオコンの外交政策
ネオコンは、自由主義・民主主義を世界に広めることを理想とし、軍事政策や外交政策は新現実主義路線を取る。 また、自由主義と民主主義は人類普遍の価値観であると考え、その啓蒙と拡大に努めている。
「緊急事(同時多発テロなど)にはアメリカの国防に何ら寄与しない」として、国際連合に極めて批判的である。 国際連合の枠外による国活動を主張するが、それは単独主義的であるとして、同盟諸国から批判されることも多い。 「有志連合」などは、国際連合の影響力の及ばない多国籍からなる一時的な国際組織として注目されたが、アメリカ合衆国はこの有志連合を恒久的に維持する姿勢を現時点では見せていない。
[編集] 有名なネオコン思想家・政治家
- エリオット・アダムス (w:Elliott Abrams)
- リンダ・チャヴェズ w:Linda Chavez
- リチャード・チェイニー (w:Richard Cheney)、米国副大統領、前国防長官、前ハリバートン会長
- リン・チェイニー (w:Lynne Cheney)、チェイニー副大統領夫人、反ネオコン学者の評論家
- ダグラス・ファイス (w:Douglas Feith)、前国防次官
- デーヴィド・フルーム (w:David Frum) カナダ出身の記者、「悪の枢軸」のことばを発言
- フランシス・フクヤマ (w:Francis Fukuyama)、『歴史の終わり』の筆者、大統領の生物倫理委員会の会員 後に転向
- クリストファー・ヒチェンズ (w:Christopher Hitchens), イギリス出身の解説者
- サミュエル・ハンチントン (w:Samuel Huntington)、『文明の衝突』の筆者
- ジーン・カークパトリック (w:Jeanne Kirkpatrick)、前国際連合大使
- アーヴィング・クリストル (w:Irving Kristol)
- マイケル・レディーン (w:Michael Ledeen)
- ルイス・リビ (w:I. Lewis Libby)
- フィリップ・メリル (w:Philip Merrill)、輸出入銀行会長
- リチャード・パール (w:Richard Perle)、国家防衛政策委員長
- ノーマン・ポドレツ (w:Norman Podhoretz)
- コンドリーザ・ライス (w:Condoleeza Rice)、国務長官
- ロナルド・ロトゥンダ (w:Ronald D. Rotunda)、ジョージ・メーソン大学法学教授
- ドナルド・ラムズフェルド (w:Donald Rumsfeld)、国防長官
- ポール・ウォルフォウィッツ (w:Paul Wolfowitz)、世界銀行総裁 元国防副長官
- ジョン・ボルトン (w:John R. Bolton)、国務次官補、国際連合大使
- マイケル・ノヴァック(Michael Novak)、研究者
- ピーター・バーガー(Peter Berger)、研究者
[編集] 関連項目
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