コンドリーザ・ライス
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コンドリーザ「コンディ」ライス(Condoleezza "Condi" Rice, Ph.D. 1954年11月14日 - )は、アメリカ合衆国の政治家で、ジョージ・W・ブッシュ大統領の下の国務長官。
アフリカ系アメリカ人の女性としては初の国務長官(アフリカ系アメリカ人としてはコリン・パウエルに続く2番目、女性としてはマデレーン・オルブライトに続く2番目)である。ライスはジョージ・W・ブッシュ大統領の第一期目では国家安全保障担当大統領補佐官を務めた。彼女は2番目のアフリカ系アメリカ人および女性として最初の国家安全保障問題担当補佐官であった。
2004年11月にブッシュは国務長官としてコリン・パウエルの後任にライスを指名した。2005年1月26日に上院は85 - 13の票数で彼女の指名を承認し、彼女は同日宣誓した。
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[編集] 生い立ち
アラバマ州バーミングハムで、ジョン・ウェズレー・ライスジュニアとアンジェレーナ・ライス夫妻の一人娘として生まれた。彼女の父親はウェストミンスター長老教会の牧師で、母親は音楽教師であった。
コロンビア大学ジャーナリズム大学院学部長のニコラス・レーマンが書いた記事:「バーミンハムには保険業で成功した一組の黒人家族、ギャストン一家がいた。それに続いて支配していたのはアルマ・パウエルの一家だった。アルマの父親と伯父は町にある二つの黒人高校の校長であった。ライスの父親、ジョン・ウェズレー・ライスジュニアは高校のガイダンス・カウンセラーとしてアルマ・パウエルの伯父のために働き、週末に説教を行う牧師であった。ライスの母親アンジェレーナは教師だった」[1](アルマ・パウエルはコリン・パウエルの妻)。
1967年に父親がデンバー大学の学長となり、一家はデンバーに転居した。彼女の名前はイタリア語の音楽用語「con dolcezza」から来ている。[2]
彼女の生まれた年に画期的なブラウン・ボード教育委員会判決が決定された。8歳のときに友人のデニース・マクネーアが白人優越論者による16番街聖ヨハネ協会爆弾テロで1963年9月15日に死亡した。両親は常々、教育が人種差別に対する最高の防御になると教えた。ニューヨーク・タイムズとのインタビューでライスは両親から「今は、(人種差別のため)ウールワースでハンバーガーを食べることはできない。しかし、大統領に上り詰めれば可能になる」と良く聞かされたと語っている。彼女自身も成功するには、人の二倍努力しなければならないと常々語っていた。[3]
[編集] 高等教育~音楽から国際政治学へ
アスペン・ミュージック・キャンプでピアノを学んだ後に、ライスはデンバー大学に入学した。彼女の父親は同大学で副学部長を務め、「The Black Experience in America」クラスを教えた。[4] 彼女は15歳でコンサートピアニストになるクラスで学んだが、元国務長官マデレーン・オルブライトの父親ジョセフ・コーベルの国際政治コースに参加し、ソ連や国際関係への興味を持つこととなった。ライスはコーベルを「私の人生で最も重要な人物のうちの一人」[5]と語った。
ライスは1974年に19歳でデンバー大学から政治学士号を優等で得、1975年にはノートルダム大学から修士号を得た。彼女は1977年から国務省に勤務し、カーター政権下で教育文化省のインターンとなった。1981年にはデンバー大学で政治博士号を得る。彼女は英語に加えてロシア語、フランス語、スペイン語を話すことができる。
[編集] 学問の世界へ
1981年よりスタンフォード大学助教授。87年に準教授に昇進。在野時代より既に戦略学の分野で非常に優れた研究者として声望を得ており、クラウゼヴィッツ戦略学の世界的権威ピーター・パレットの論文集にもその論文が掲載されている(Makers of Modern Strategy: From Machiavelli to the Nuclear Age、1986年)。
[編集] 実践の場へ
[編集] ジョージ・H・W・ブッシュ政権
1989年から1991年まで、ジョージ・H・W・ブッシュ政権に参画。国家安全保障会議東欧ソ連部長として、ソビエトおよび東ヨーロッパの専門家として、辣腕を振るう。日本にも度々訪れ、海上自衛隊などでソビエト連邦に関した講義を行った。
1991年、スタンフォード大学に戻る。1993年、正教授に昇進。同時に最年少、女性初、白人以外初のスタンフォード大学の事務局長(プロボスト)になる。
[編集] ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権
2001年より国家安全保障補佐官として、ブッシュ政権の外交政策立案に当たる。アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン戦争やイラク戦争など強硬政策を推進。
2003年、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『華氏911』にてゴールデンラズベリー賞の最低助演女優賞、最低スクリーンカップル賞受賞。
2006年10月北朝鮮核実験直後に来日し、安倍晋三首相と会談で北朝鮮への制裁と日米同盟強化を確認した。
[編集] その思想と行動
アメリカ屈指の戦略家であり、オフェンシブ・リアリスト(攻撃的現実主義者)と評される。バランス・オブ・パワーを破壊しようとする勢力には当然に武力行使も選択肢に入れた対応をしなければならないとする立場であり、クラウゼヴィッツ戦略学の正統に位置するとも言える。経済への理解も深いが、リベラリストのように経済に深入りし過ぎた判断をすることも無いとされる(対中国への姿勢に特に顕著)。
彼女をいわゆるネオコンに分類し、ブッシュ大統領への忠誠心を評価されて要職を射止めたとする論調も見られるが、それらの見方はいたずらに彼女を矮小化しているに過ぎない。とりわけ国務長官就任後は、外交を重視して国防総省を牽制する役回りをしばしば演じている。
[編集] 著書
- The Soviet Union and the Czechoslovak Army, 1948-1983: Uncertain Allegiance, (Princeton University Press, 1984).
- Germany Unified and Europe Transformed: A Study in Statecraft, with Philip Zelikow, (Harvard University Press, 1995).
- アメリカ合衆国国務長官
- 2005 -
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- 先代:
- コリン・パウエル
- 次代:
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