揖斐川町
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揖斐川町(いびがわちょう)は、滋賀県と福井県に隣接する岐阜県の揖斐郡に属する町。
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[編集] 地理
岐阜県の西北部に位置し、町の中心を揖斐川が流れている。
[編集] 歴史
[編集] 沿革
- 1955年(昭和30年) - 揖斐町・大和村・北方村・清水村・小島村が合併し(旧)揖斐川町発足。
- 1956年(昭和31年) - 養基村の一部を編入。
- 2005年(平成17年)1月31日 - (旧)揖斐川町が揖斐郡谷汲村・久瀬村・春日村・坂内村・藤橋村と合併し、新しい揖斐川町が発足。
[編集] 養基村の合併問題
平成の大合併の際、岐阜県では昭和の大合併の際の問題点が多く取り上げられた。合併は場合によっては、市町村を分割するという事も発生する。この事がシコリになってしまう事も多く、取り上げられたのが、旧長野県神坂村の岐阜県中津川市への越県合併、もうひとつがこの養基村である。
旧長野県神坂村は、馬籠地区が山口村として長野県に残り、他の地区は中津川市に編入された。平成の大合併で山口村は中津川市に編入され、旧神坂村は再び一つになった。
養基村の場合、昭和の大合併で脛永地区は揖斐郡揖斐川町に、その他の地区は揖斐郡池田町に編入されたのだが、養基村はかなり混乱したという。一説には脛永地区には近畿日本鉄道養老線の揖斐駅があり、それの奪い合いというのがある。現在でも脛永地区の児童は池田町の養基小学校に通学している。
平成の大合併では、池田町と揖斐川町の揖斐郡合併協議会に参加により、養基村は再び1つになれると期待された。しかし、池田町は大垣市の合併協議会に参加、のちに離脱して単独町制維持を選んだ為、養基村が再び一つになることは見送られた。
[編集] 行政
- 2005年の合併後、旧春日村村長の樋口直嗣が町長職務執行者を務め、3月6日の町長選で宗宮孝生(旧揖斐川町長)が町長に選出された。
[編集] 警察
- 揖斐警察署(町内に所在)
[編集] 教育
[編集] 高校
[編集] 中学校
- 北和中学校
- 揖斐川中学校
- 藤橋中学校
- 坂内中学校
- 谷汲中学校
- 春日中学校
- 久瀬中学校
[編集] 小学校
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[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 一般国道
[編集] 一般有料道路
[編集] 都道府県道
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[編集] 名所・旧跡・観光スポット
- いびがわマラソン
- 揖斐祭り(三輪神社の春の例大祭。)
- いびがわの祭り
- 谷汲山華厳寺(谷汲地区、西国三十三箇所第33番札所、満願寺)
- 両界山横蔵寺(谷汲地区)
- さざれ石公園(春日地区)
- 徳山ダム(藤橋地区、現在工事中)
- 藤橋城(西美濃プラネタリウム、藤橋地区)
- 冠山(藤橋地区、福井県今立郡池田町)
- 夜叉ヶ池(坂内地区)
- 揖斐峡(久瀬地区)
- 春日局出生の碑(小島地区、ただし出生地については諸説ある。)
[編集] 出身著名人
- 所英男(総合格闘家、「クリーニングのところ」の三男)