山形屋
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鹿児島市の本店を中心に鹿児島・宮崎といった南九州でドミナント展開している。山形屋ストア・山形屋ショッピングプラザで鹿児島都市圏の一部で食品スーパー業も展開。
かつては沖縄県にも出店していた。
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[編集] 概要
- 社名 株式会社山形屋
- 設立 1917年
- 代表 岩元修士
- 資本金 9億8800万円
- 売上 591億円
[編集] 店舗
[編集] おもな関連会社
- 山形屋商事株式会社
- 株式会社山形屋友の会
- 金生産業株式会社
- 株式会社山形屋物流サービス
- 山形屋産業開発株式会社
- 山形屋パーキング株式会社
- 株式会社山形屋情報システム
- 株式会社山形屋工作所
- 株式会社ワイズ
- 山形屋食堂株式会社
- 株式会社べルグ
- 株式会社クーダイニング
- 丸岩電機株式会社
- 丸岩工業株式会社
- 南菱冷熱工業株式会社
- 宮崎南菱冷熱株式会社
- 株式会社トウェンティ・ワン
- マルイワテクノ株式会社
[編集] 合弁事業
[編集] 沿革
創業は江戸時代の中期と云われ、創業者は近江商人の血を受け継ぐ現在の山形県庄内地方の北前船商人、薩摩藩主の許可を得て開業した鹿児島城下で唯一の呉服商が現在の店舗の前身といわれる(現在、鹿児島店1号館の壁面に山形屋呉服店のレリーフが掲げられている)。
デパートメントストアー化したのは明治時代中頃、近代的なデパート館は大正時代の始めと、他の地方中核都市に比べて先駆けており、3大老舗の三越・高島屋・大丸などと肩を並べる程の伝統がある。
また、岡山の天満屋と同様に鹿児島本店には、いわさきコーポレーションのバスターミナル(いづろ)を併設しており、駅ビルでこそないもののステーションデパートのような側面も持ち、現在でも本店は九州屈指の収益力を誇る。
かつては、昔の島津氏の勢力圏そのままに沖縄から宮崎、熊本県人吉市までの店舗網を誇ったが、地場資本であるリウボウ等との競合に敗れ、沖縄県那覇市にあった沖縄山形屋はおよそ100年の歴史を閉じ、平成11年8月31日撤退した。
[編集] 厳しい現況
長年に亘りふるさとの総合百貨店として地域で愛されてきた。地元には、同店以外に目立った競合店がなく、また福岡といった古くから多様な商業集積が行われている地域から影響や交流も皆無だった為、事実上の一人勝ちの状況が何十年も続いてきた。
しかしながら近年ネット社会を迎え、以前に比べ年を追うごとに高度な商品情報が氾濫するようになり、消費の高度化・多様化しつつある現状を迎えた。またおよそ6年後に迫った九州新幹線の全通後の都市間競争に備えて一時は鹿児島中央駅ビルへの出店を計画していたが、断念した。
九州新幹線開業後、駅ビルに競合店が入り一時は客足を奪われたものの、一方で地元商店街との協力調和と地域活性化を図り、バス・市電(路面電車)の利用で鹿児島中央駅から天文館方面に向かう消費者が増えて相乗効果で客足は戻りつつある。
同社は対策として、グループ各店の再編強化に着手、まず第一弾として2006年6月国分山形屋をきりしま国分山形屋として改編、さらに移転・新築した。同店は鹿児島県初のテナント誘致にも成功し、また鹿児島県内百貨店初の電子マネーEdyカードの利用が可能となった。また九州最大級の売場面積のイオン宮崎SCと競合する宮崎山形屋も、新館を平成18年9月12日に増床開店した。平成19年度までに全館リニューアルを完了する予定である。
さらには鹿児島市南部のロードサイドに続々進出する大型商業施設(スクエモール鹿児島、フレスポジャングルパークSC、イオン鹿児島東開SC等)進出への対抗策として、鹿児島本店3号館の増改築による売場5万平米への増床等を含めた戦略見直しを策定しはじめたようである。
九州新幹線全線開業までに本店3号館を増床する予定だが、計画概要や正式着工時期については現在は未定である。南九州の雄山形屋がいかなる変貌を遂げるのが、どのような存在となるのか今後も暫く目が離せないだろう。
[編集] サテライトショップ・外商出張所
[編集] 関連事項
- 丹下梅子:我国の女性化学者のパイオニア、山形屋鹿児島本店一号館付近が生誕地で建物横にブロンズ胸像が建立されている。