山岳信仰
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山岳信仰(さんがくしんこう)とは、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰。自然崇拝の一種で、狩猟民族などの山岳と関係の深い民族が山岳地とそれに付帯する自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると思われる。山岳地に霊的な力があると信じ、自らの生活を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見出される。
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[編集] 形態
これらの信仰は主に、内陸地山間部の文化に強く見られ、その発生には人を寄せ付けない程の険しい地形を持つ山が不可欠とされる。
そのような信仰形態をもつ地域では、山から流れる川や、山裾に広がる森林地帯に衣食住の全てに渡って依存した生活を送っており、常に目に入る山からの恩恵に浴している。その一方で、これらの信仰をもつ人々は、険しい地形や自然環境により僅かな不注意でも命を奪われかねない環境にあることから、危険な状況に陥る行為を「山の機嫌を損ねる」行為として信仰上の禁忌とし、自らの安全を図るための知識として語り継いでいると考えられる。
なお今日では、各種防寒装備や登山用品の発達に伴い、従来は人跡未踏の地とされた地帯に人間が入り込んでも生存しつづける事が可能ではあるが、山岳信仰を尊ぶ地域住民の感情を非常に害する事もある。登山者が山の機嫌を損ねるとされている行為を犯すと、民俗学的な意味での感染呪術の類型として、登山者が山に入る事を看過した地元の住民が罰せられると信じ、山をなだめようと大規模な祭事を行うケースも報告されている。
その一方で、これら山岳信仰のある地域で、しばしば近代的な装備を過信した者が、無謀な行動の結果、重大な危険に直面したり、逆に大量の物資を持ち込んでそのゴミを放置するといった、過剰な自己防衛に基づく自然への攻撃を行ってしまうケースも散見され、近年では改めて自然と共存するために培われた山岳信仰が、その精神性において見直されている。
[編集] 日本の山岳信仰
日本においても、水源・狩猟の場・鉱山・森林などの経済的条件、雄大な容姿や火山などの地質的条件から山が重要視され、古来から山は神霊が宿る、あるいは降臨する場所と信じられ祭祀が行われてきた。また、死者の魂(祖霊)が山に帰る「山上他界」という考えもある(この他は海上他界、地中他界など)。これらの伝統は神道に繋がり、長野県諏訪大社や奈良県三輪山のように、山そのものを信仰する流れが生まれた。農村部では水源であることと関連して、春になると山の神が里に降りて田の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰もある。日本人ではないのだが、カールブッセの詩「山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう」という言葉が、日本人の山岳信仰の信仰観を表しているだろう。
また仏教でも、世界の中心には須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられ、空海が高野山を、最澄が比叡山を開くなど、山への畏敬の念は、より一層深まっていった。平地にあっても仏教寺院が「○○山△△寺」と号するのはそのような理由からである。
チベット仏教でも聖なる山は信仰の対象であるが、信仰は山自体に捧げられ、その山に登るのは禁忌とされる場合が多い。一方で日本では、山頂に達することが重要視されるのは注目すべきである。日本人の場合、山自体を信仰する気持ちももちろんあるのだが、そこから早朝に拝まれるご来光を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらにその先(彼方)にあるもの(あの世)を信仰していることが原因であろう。日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついているのである。
その後、密教、道教の流れをくんだ修験者や山伏たちが、俗世との関わりを絶ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行った。これは、後に修験道や呪術的宗教などを生み出している。
山岳信仰は、もともとが自然崇拝のアニミズム的信仰から発展してきただけに、江戸末期まで神仏習合の形態を取ってきたが、神仏習合が明治以後の神仏分離令により禁止されて以後、もともと真言密教系の修験が強かった出羽三山も含め、寺と神社が分けられ、信仰の本体の多くは神社の形態を取って存続した。
山が神界として信仰の対象となっていた一方で、死者の霊の集まる他界として、イタコの口寄せをはじめとする先祖霊供養にも発展をみせた。なお、民衆の間でも信仰の顕れとして登山を行う習慣があり、現在でも、霊場といわれる山岳をはじめとして、山には多くの人々が登っている。