妙高 (列車)
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妙高(みょうこう)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が長野駅~直江津駅間を信越本線経由で運行する普通列車の愛称。
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[編集] 運行概況
1日5往復。上りの2号が直江津~妙高高原間で快速運転を行う以外は、全列車が各駅に停車する。
なお、各列車とも最後尾の車両(上りは6号車、下りは1号車)は指定席車両。
- 使用車両
- 長野総合車両センター183系・189系電車(N101~103編成)
- 2号停車駅
[編集] 問題点
- 各列車とも、最後尾の車両が座席指定車となるが、中間車が性能の良いリクライニングシートを使用しているのに対し、全編成ともどちらか一方の先頭車(一部編成は両方とも)が簡易リクライニングシートとなっている。このため、本来とは反対の意味でのアコモデーションとなってしまっている。
- 列車の案内表示などが煩雑で、また上りと下りで指定席車両の位置が異なるため、自由席を利用する予定の乗客が指定席車両に誤乗してしまうケースがしばしばある。
- 特急型車両を使用しているため、ドアは各車両の両端(1両あたり2箇所)にしか設けられておらず、通路やデッキも狭隘であることから、立ち席客の居住性は決して良くない上、乗降客の多い駅では乗り降りに時間が掛かるなど、サービス上の問題も生じつつある。
[編集] 沿革
[編集] 急行「妙高」
(あさま (列車)も参照)
- 1950年、上野駅~直江津駅間を高崎線・信越本線経由で運行する夜行準急列車として運行を開始。但し、長野駅~直江津駅間普通列車。
- 1953年、新潟駅まで運転延長。
- 1961年、再び直江津駅までとなる。また、昼行列車も運行開始。
- 1962年、上野駅~直江津駅間を高崎線・信越本線経由で運行する昼行急行列車化。
- 1966年、電車急行化。同時に増発。
- 1968年、臨時列車ながら夜行列車復活。
- 1970年代にかけて信越本線を代表する急行列車となる。
- 1982年、エル特急「あさま」の増発に伴い、夜行列車のみとなる。
- なお、夜行列車運行当時より寝台車を連結していた。
- 1985年、寝台車をはずし座席車のみとなる。
- 1986年より、上野駅~長野駅間の運転となる。
- 1989年、下り列車を高崎線普通列車終電運行後に運行開始。定期券と急行券を持っていれば乗車出来る事とした。
- 1993年、併走する急行「能登」に吸収される形で廃止。
[編集] 新幹線接続列車「信越リレー妙高」・「妙高」
- 1997年10月1日、長野行新幹線開業に伴い、エル特急「あさま」・「白山」が運行されていた長野駅~直江津駅間の連絡のために「信越リレー妙高」として運行開始。1日8往復。
- 2000年12月2日、運転本数を1日3往復と大幅に減便。
- 2002年12月1日、「妙高」に名称を変更。1日4往復に増発。
- 2004年10月16日、1日5往復に再増発。
- 2004年10月27日~11月28日、10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で、上越新幹線の越後湯沢駅~長岡駅間が不通となり、長野新幹線からの乗り継ぎを図るため、長野駅から妙高号のダイヤで直江津駅まで、そこからは信越本線、越後線経由で新潟駅まで臨時快速列車として4往復運転された。「くびき野」も参照のこと。