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奥大介 |
名前 |
愛称 |
|
カタカナ |
オク ダイスケ |
ラテン文字表記 |
OKU Daisuke |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1976年2月7日 |
出身地 |
兵庫県尼崎市 |
身長 |
173cm |
体重 |
72kg |
血液型 |
A型 |
選手情報 |
在籍チーム |
横浜F・マリノス |
ポジション |
MF |
背番号 |
14 |
利き足 |
右足 |
代表歴 |
キャップ |
26 |
得点/失点 |
2 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
奥 大介(おく だいすけ、1976年2月7日- )は、日本のプロサッカー選手。ポジションはMF(主にトップ下)。横浜F・マリノス所属。兵庫県尼崎市出身。173cm、68kg。妻は女優の佐伯日菜子。2児の父である。
[編集] 経歴
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
1994年 |
磐田 |
J |
- |
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|
- |
|
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1995年 |
磐田 |
J |
- |
|
|
- |
- |
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1996年 |
磐田 |
J |
- |
|
|
- |
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1997年 |
磐田 |
J |
29 |
|
|
- |
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1998年 |
磐田 |
J |
29 |
32 |
12 |
- |
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1999年 |
磐田 |
J1 |
8 |
28 |
7 |
- |
|
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2000年 |
磐田 |
J1 |
8 |
30 |
4 |
- |
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2001年 |
磐田 |
J1 |
8 |
25 |
4 |
- |
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2002年 |
横浜Fマ |
J1 |
37 |
26 |
7 |
- |
|
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2003年 |
横浜Fマ |
J1 |
14 |
26 |
5 |
- |
|
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|
2004年 |
横浜Fマ |
J1 |
14 |
25 |
10 |
- |
|
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|
2005年 |
横浜Fマ |
J1 |
14 |
25 |
1 |
- |
|
|
|
|
2006年 |
横浜Fマ |
J1 |
14 |
15 |
2 |
- |
3 |
0 |
|
|
通算 |
264 |
61 |
- |
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[編集] プレイスタイル
FWの選手のすぐ後ろ、いわゆるトップ下を本職とするMFである。前線FWへの配球センスはもちろん、豊かなスピードを生かした鋭いドリブル、2列目からの飛び出しも得意としており、3m-10mの範囲でボールを奪い合う密集地帯での瞬間的な反応の速さは国内でも屈指のレベルにある。みずから得点を狙うシャドウ・ストライカーとしても非凡な能力を発揮する。
さらには、サイド、ボランチを平均以上にこなす万能型で、中盤の底でプレーしていた時期も長い。それを裏付けるようなスタミナの豊富さもその特徴である。また、磐田時代には、FWとして出場していたこともある。
[編集] 受賞歴
[編集] 個人タイトル
- 1998年
- 2003年
- 2004年
[編集] チームタイトル
- 1998年、1999年、2001年(ジュビロ磐田)
- 2003年、2004年(横浜F・マリノス)
- 1997年(ジュビロ磐田)
- 1997年、1999年(ジュビロ磐田)
- 2003年、2004年(横浜F・マリノス)
- 1998年(ジュビロ磐田)
- 2000年(ジュビロ磐田)
- 1998年、1999年
[編集] 代表歴
[編集] 各年度代表
- アジアユース
- ワールドユース
[編集] 日本代表
- キリンチャレンジカップ
- キリンカップ、コパ・アメリカ
- アジアカップ(予選・本大会)、キリンカップ、キリンチャレンジカップ、キリンワールドサッカー、カールスバーグカップ、ハッサン2世カップ
- AFC/OFCチャレンジカップ
- FIFAコンフェデレーションズカップ、東アジアサッカー選手権
- キリンチャレンジカップ
[編集] 逸話
- 磐田時代にサポーターズマガジン上で、自分にブーイングを浴びせるサポーターについて、「そういう人たちはお金払うからスタジアムに来んといてほしい。」と発言したことがある。この発言の背景には、現夫人の佐伯日菜子との交際を快く思わず、嫌がらせまがいの行動を行うサポーターたちがいたこともあったが、実際はそれらのサポーター以外にも奥本人のモチベーションの低下を練習から感じ取った地元のファンからの叱咤も含んでいたため、サポーターの反感を買ってしまった面もあった。
- 磐田での最終戦となった2001年の天皇杯4回戦、対東京ヴェルディ1969戦で退場処分になっている。奥本人の話では主審(スキンヘッドだった)に対して判定への不満を「どこ見てんのや、ハゲ」とつぶやいた所、当の主審に聞こえてしまった事が理由。この処分のためF・マリノスへの移籍直後は試合に出られなかった。
- F・マリノス移籍初年度の2002年のシーズン終盤のある試合において、同僚のウィルが試合中、奥に全くパスを出さなかった挙句、奥を後ろから蹴り飛ばしこの事件が原因でウィルが解雇されたことは有名。最もこの解雇事件はすべてウィルの方に責任がある。
- 2004年2月、茨城県鹿嶋市内で代表合宿中に奥と久保竜彦、小笠原満男、山田卓也、茂庭照幸、大久保嘉人、都築龍太が夜中に無断でキャバクラに行っていたことが発覚し、ジーコ監督から怒りを買ってしまい代表から外されてしまった。それ以来代表には呼ばれていない。
- 奥の代名詞とも言えるルーズソックスは、ファッションとしてではなく、ふくらはぎが太く、ソックスを上げてプレーするとこむら返りを起こしてしまうため。