外郎 (薬品)
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外郎(ういろう)は、小田原市の外郎家で作られている大衆薬の一種。
[編集] 概要
外郎は、仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用するといわれる。正しくは透頂香(とんちんこう)と言う。中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたからという。
14世紀の元朝滅亡後、旧元朝の外交官であった陳宗敬(陳外郎)の名前に由来すると言われている。陳宗敬は明王朝を建国するに朱元璋に敗れた陳友諒の一族とも言われ、日本の博多に亡命し日明貿易に携わり、輸入した薬に彼の名が定着したとされる。室町時代には宗敬の子・宗奇が室町幕府の庇護において京都に居住したが(京都外郎家)、応仁の乱(1466年-1476年)の後、室町幕府の力が失墜すると外郎家の分家である宇野藤右衛門定春が後北条氏に身を寄せたといわれる(小田原外郎家)。後北条家滅亡後、豊臣家、江戸幕府においても保護がなされ、苗字帯刀が許された。なお、京都外郎家は現在は断絶している。
江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られ、東海道小田原宿名物として様々な書物やメディアに登場した。『東海道中膝栗毛』では喜多さんが菓子の外郎と勘違いして薬のういろうを食べてしまうシーンがある。歌舞伎十八番の一つで、早口言葉にもなっている「外郎売」は、曾我十郎祐成が外郎売りのせりふを物真似したものである。外郎を売る店舗も城郭風の唐破風造りの独特の建物であり、この建物も一種の広告塔になった。
なお、和菓子の外郎は江戸時代以前は外郎家においては来客用の菓子であり、市販は明治時代からなされた。唐破風造りの店舗は明治以降も存続したが、関東大震災の際に倒壊している。
太平洋戦争中は企業統合により製薬企業及び薬品が統合されていったが、外郎はそうした状況においても処方・製法が維持された。
現在も外郎家が経営する薬局で市販されているが、購入には専門の薬剤師との相談が必要である。