国際興業バス赤羽営業所
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国際興業バス赤羽営業所(こくさいこうぎょうバスあかばねえいぎょうしょ)は、国立西が丘サッカー場に近い北区西が丘三丁目にあり、赤羽駅を発着する同社路線の大半を担当している営業所である。営業区域は、営業所のある北区を中心に、足立区、板橋区、豊島区、中野区、杉並区、川口市の6区1市にまたがっている。所管路線の特徴として、赤羽駅を起点に周辺団地への循環路線を多数運行していることが挙げられる。
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[編集] 沿革
赤羽駅は、発着バス路線のうち都営バスの1路線と高円寺線で相互乗り入れを行っている関東バスを除く全便が国際興業バスによって占められており、都内における同社最大のターミナルと位置づけることができる。戦前より、鳩ヶ谷自動車が鳩ヶ谷・王子方面へ、川口乗合が川口方面へ、板橋乗合(東都乗合)が志村~赤羽~志茂間を運行するなど、早くからバス交通が発達していた。これらはすべて国際興業バスの前身事業者である。
赤羽営業所は開設以来、同駅周辺を走る路線を担当しているが、その沿革は非常に複雑である。1950年の国際興業乗合自動車部発足時には、赤羽駅に程近い北区稲付町(現・赤羽西一丁目のボウル国際興業跡地)に営業所が置かれているが、これは「川口営業所」としての開設であった。その後、1958年12月に川口営業所が川口市内に開設されたのに伴い、以後この旧営業所は志村営業所・赤羽出張所を称することとなる。さらに1959年6月、同出張所は赤羽五丁目(現・桐ヶ丘一丁目)に移転し、同年12月に赤羽営業所として発足した。
この間、戦前の鳩ヶ谷自動車路線の流れを汲む赤羽~王子線が1950年にルートを一部変えて運行を開始し、1952年には赤羽~池袋線が開通、さらに昭和30年代にかけて、常盤台・下赤塚など東武東上線沿線へ向けての路線が整備されている。
現・営業所所在地に車庫が開設されたのは1962年3月のことであるが、これは当時の巣鴨営業所が清水町分車庫としての開設したものであった。その後、同年8月に都内の営業所組織の再編があり、巣鴨営業所が廃止されたことにより、赤羽営業所は赤羽五丁目より同地に移転、同時に巣鴨営業所から赤羽・王子周辺の一部路線の移管を受けた。
[編集] 現行路線
[編集] 赤羽駅~荒川大橋~西新井駅線(西新井公団線)
- 赤23:赤羽駅東口~荒川大橋~領家工場街~鹿浜~谷在家~第一団地~西新井駅
- 赤23-3:赤羽駅東口←荒川大橋←領家工場街←鹿浜←谷在家(平日始発時間帯のみ)
- 赤23-2:赤羽駅東口→荒川大橋→領家工場街→鹿浜→加賀団地(深夜バスのみ)
赤羽から荒川大橋を超えて一旦川口市内を走行し、鹿浜五丁目から再び都内・足立区に入って西新井を目指す路線である。2002年1月までは、西新井駅に入らず手前の西新井警察署までを運行する便(赤24)があったが、現在は統合されて赤23のみとなっている。また、2003年より、深夜バス専用系統として赤23-2を運行している。荒川大橋~鹿浜五丁目間は埼玉県運賃区間であり、都内定期券・一日乗車券・東京都シルバーパスで利用する際は、この区間内での乗降はできない。なお、全線通し運賃は都内運賃の210円が適用され、埼玉県内の停留所で乗降しない限り(荒川大橋を除く)、都内専用の乗車券等は有効である。
この路線の開通は昭和40年前後のことであり、開通当初は、大半の便が赤羽駅~西新井公団(現・第一団地)の折り返し運行であった。この便は前記の赤24の前身であるが、西新井駅乗り入れの本数が一部にとどまっていたのは、駅周辺の道路・バス乗り場の整備が不十分だったためである。
西新井はもともと東武バスの事業区域であるため、国際興業が乗り入れを開始する一方、東武も同じ頃、西新井駅から川口駅までの路線を開通してバランスをとり、領家・鹿浜・谷在家の一帯は両社の競合エリアとなった。東武はその後鹿浜以西から撤退したが、現在も鹿浜~西新井間では新04(東武バスセントラル足立営業事務所担当)が並行し、競合関係が続いている。かつては両社の停留所名や位置が不揃いであったが、2004年4月の改正で整理された。
深夜バス専用路線として新設された赤23-2加賀団地行は、鹿浜中学校までは通常と同じ経路であるが、鹿浜六丁目から先は赤26の経路を途中までたどる。赤23・赤26双方の単独区間沿線客の帰宅の足として設けられた。
また2006年6月18日のダイヤ改正から赤羽方向への始発繰上げ目的として谷在家始発赤羽駅行き区間便(赤23-3)が新設される。
[編集] 赤羽駅~環七~西新井駅・舎人線
- 赤26:赤羽駅東口~東十条四丁目~鹿浜橋~椿二丁目~加賀団地~入谷東~舎人団地(共管の川口営業所の項に詳述)
- 赤27:赤羽駅東口~東十条四丁目~鹿浜橋~椿二丁目~西新井大師~西新井駅(往復深夜バスを運行)
- 赤27-2:赤羽車庫~東十条四丁目~鹿浜橋~椿二丁目~西新井大師~西新井駅(出入庫、赤羽車庫行深夜バスを運行)
赤27は環七通り経由で西新井に至る路線である。赤26(川口営業所参照)と約16~20分間隔で交互に赤羽駅を発車し、両線の並行区間はほぼ終日8~10分間隔での運行となっている。かつては全便が西新井警察署までの運行であったが、2002年1月に西新井駅まで延長された。同時に赤羽駅→西新井駅、西新井駅→赤羽車庫において深夜バスの運行を開始したが、2004年7月16日の増発により、このうち車庫行きの大半が赤羽駅行きに改められている。
[編集] 赤羽駅~高円寺駅線
- 赤31:赤羽駅東口~東十条四丁目~大和町~中板橋駅入口~豊玉北~野方駅北口~高円寺駅北口(関東バス阿佐谷営業所と共同運行)
- 赤31-2:赤羽車庫←大和町←中板橋駅入口←豊玉北←野方駅北口←高円寺駅北口(最終入庫のみ)
赤羽駅東口から環七上を大和町、豊玉北、野方と経由しながらひた走り、高円寺駅北口に達する路線であり、1966年4月20日に関東バスとの共同運行により開通した。北、板橋、練馬、中野、杉並の東京西北部5区を縦断する国際興業の路線の中では比較的長い路線である。その路線の性格上、渋滞に見舞われることがしばしばあり、全線所要時間は通常40~50分程度だが、1時間以上かかることも珍しくない。利用客は京浜東北線、都営地下鉄三田線、東武東上線、地下鉄有楽町線、西武池袋線、西武新宿線、中央線などの放射状の各鉄道路線間移動者、鉄道空白地帯への通勤通学者が多い。東十条四丁目~高円寺中学校(都バスは高円寺駅入口)間で都バスの王78系統と並行し、共通定期券の取り扱いもある。
以前途中の小茂根まで関東バスの中40系統(中野駅~丸山営業所~小茂根)が来ていたため、赤羽駅~上の根橋間は国際興業のバス停、小茂根~高円寺駅間は関東バスのバス停が設置されている。平日日中は20分間隔、朝夕は10分間隔程度の本数が確保されている。
[編集] 赤羽駅~王子駅線
北区内の2大ターミナル駅である赤羽駅と王子駅の間を西が丘、十条駅経由で結ぶ路線である。沿線から北区役所への連絡線の役割も担い、出入庫便以外全便が車椅子乗降用のスロープ板、またはリフト付きの車両で運行される。
この線は、鳩ヶ谷自動車の流れを汲む古い路線であるが、戦前の両駅間を結ぶ運行は岩槻街道(東北線のすぐ西を南北に結ぶ通り)を経由して行われており、加えて赤羽駅~同潤会入口~稲付西町(現・西が丘二丁目付近)、王子駅~西町終点(現・上十条四丁目付近)という2つの支線が存在した。戦後の運行は1950年6月に「王子駅・赤羽駅循環(西町・十条経由)」として始まり、同年11月に循環運転を解消(北区史による)、これにより、支線側のルートを残す形での両駅間の往復線となった。なお、戦後もしばらくは交番前(現・西が丘交番前)~赤羽駅間において弁天通りではなく1本南側の通り(弁天坂「上」の通り)を経由し、鳩ヶ谷自動車時代の面影を残していたが、1960年代に赤羽駅周辺が弁天通り・赤羽台経由のループ線となり大きく様変わりした。
[編集] 赤羽駅~池袋駅線
- 赤51:赤羽駅西口(←西が丘交番、赤羽台坂下→赤羽郷→)蓮沼町~板橋本町~豊島病院~大山~池袋四丁目~サンシャインシティ~池袋駅東口
- 赤97:赤羽車庫~蓮沼町~板橋本町~豊島病院~大山~池袋四丁目~サンシャインシティ~池袋駅東口(出入庫)
赤羽駅と都内国際興業バスにおけるもう1つのメインターミナルである池袋駅とを結ぶ路線である。鉄道駅から離れたエリアを効率よく結んでおり、沿線に豊島病院などの医療施設を抱えることから利用者が多い。路線の赤羽側では、赤羽駅~日大病院線(赤57・池袋営業所担当)がよく似たルートで走り、折り返し便の役割を担っている。
この線の開業は1952年7月30日のことであるが、戦前にも川越街道側から板橋八丁目(現・板橋三中付近)まで池袋乗合によって開通した路線が存在しており、これが形を変えて復活したと捉えることもできる。なお、同日には王子駅と池袋駅の間にも路線が開通し(#王子駅~板橋駅線参照)、池袋と板橋区・北区の連絡が強化されている。
[編集] 赤羽駅~蓮沼循環線
- 赤52:赤羽駅西口→[トンネル]→赤羽郷→志村一丁目→蓮沼町→西が丘交番→赤羽駅西口(朝のみ、休日運休)
- 赤52-2:蓮沼町→西が丘交番→赤羽駅西口(朝のみ)
赤羽駅西口から志村一丁目まで赤53と同じルートを通り志村一丁目から先は蓮沼町や西が丘を経由し、再び赤羽駅西口へ向かう路線である。この路線は1985年10月1日の開通であり、赤52の系統番号は次で述べる赤羽駅~ときわ台駅~池袋駅線で使われていたものの再利用である。
[編集] 赤羽駅~ときわ台駅線
- 赤53:赤羽駅西口(←西が丘交番、[トンネル]→)赤羽郷~志村一丁目~常盤台三丁目~ときわ台駅
- 赤93:赤羽車庫~赤羽郷~志村一丁目~常盤台三丁目~ときわ台駅(出入庫、赤羽車庫行深夜バスを運行)
赤羽駅から西へと向かい、前野町を横断して東武東上線ときわ台駅まで至る路線である。この路線は、沿線に私立学校、印刷会社等の通勤、通学客が多く利用していることから、常に混雑している。この路線の原型は、1957年9月20日に開通した赤羽二丁目(現・赤羽台坂下付近)~常盤台駅~大山~池袋駅東口という路線であり、その後常盤台駅までの折り返し便ができ、赤羽駅西口発着に変更されたのち、池袋への便が廃止されて折り返し便だけが残るという経過をたどっている。開通当初は巣鴨営業所が担当し、その後練馬営業所が長らく受け持っており、赤羽営業所が担当するようになったのは1970年代以降のことである。ただし、池袋発着時代には日大病院に立ち寄る便があり、1959年からの一時期、これの折り返し便に相当する赤羽二丁目~常盤台駅~日大病院という線が赤羽担当で運行されたことがある。
[編集] 赤羽駅~桐ヶ丘循環線
- 赤54:赤羽駅西口→[トンネル]→桐ヶ丘高校→小豆沢住宅→赤羽郷→[トンネル]→赤羽駅西口(桐ヶ丘循環:桐ヶ丘高校先回り)
- 赤54-1:赤羽駅西口~[トンネル]~体育館前~小豆沢住宅~赤羽郷~[トンネル]~赤羽駅西口(桐ヶ丘循環:体育館先回り/赤羽郷先回り)
- 赤96:赤羽駅西口~[トンネル]~体育館前~小豆沢住宅~赤羽郷~赤羽車庫(桐ヶ丘体育館経由出入庫)
- 赤54-2:赤羽駅西口→[トンネル]→桐ヶ丘高校→体育館前→[トンネル]→赤羽駅西口(桐ヶ丘高校・体育館循環)
[編集] 赤羽駅~西が丘・赤羽車庫線
- 赤55:赤羽駅西口→[トンネル]→赤羽郷→西が丘交番→赤羽駅西口(西が丘循環、夜のみ、休日運休)
- 赤80-2:赤羽駅西口~[トンネル]~赤羽郷~赤羽車庫(出入庫、西口行は朝のみ)
- 赤80:赤羽車庫→西が丘交番→赤羽駅西口(出入庫)
- 赤80:赤羽車庫→西が丘交番→赤羽駅西口駅前通降車場(出入庫)
- 赤80:赤羽駅西口→赤羽台坂下→赤羽郷→赤羽車庫(出入庫、現在定期運転なし)
- 赤95:赤羽駅東口~東十条四丁目~赤羽車庫(出入庫、東口行は朝のみ)
主に赤羽駅西口と丘陵地である西が丘地区を結ぶ路線である。赤羽駅発着路線の出入庫としての運行がほとんどであるが、ほぼ終日にわたって多数運行されることもあり、赤50など平行路線の区間便的役割も持ち混雑緩和の役割も担う。出入庫線は複数の経路を持ち、車庫行は従来赤50と同じ赤羽台坂下経由の赤80のみであったが、赤羽台トンネル開通後設定された赤80-2トンネル経由に徐々に振り替えられ、現在は定期便全てがトンネル経由となっている。西口行は朝にトンネル経由があるほかは、赤50などと同じ西が丘交番経由での運行である。
赤55は並行他系統の運行が少ない夜間の近距離輸送を補うために設定された循環路線である。
赤95は赤羽駅東口発着の各路線の出入庫の役割を持つ路線である。東口発着各路線の出庫は、従来環七通りを経由する赤95赤羽駅東口行でもっぱら行われてきたが、赤羽駅の高架化で東西の車両の往来が容易になったことにより、出庫の多くをより所要時間の短い赤80西口駅前通り行に振り替え全体的な運用効率を向上、赤羽駅東口行は赤31の補完を兼ねて朝に運行されるだけとなった。ただし赤羽車庫行は現在でも終日運行されている。
[編集] 赤羽駅~社会保険病院線
- 赤58:赤羽駅西口~赤羽台坂下~師団坂通り~東京北社会保険病院
旧・国立王子病院跡地に開院した東京北社会保険病院と赤羽駅を結ぶ往路約1.3km、復路約1.9kmの短い路線である。途中経路の師団坂は勾配が急であるため、通院および周辺地域への交通確保を兼ねて2004年の開院直前に新設された。狭隘区間が多く輸送量が少ないため小型車両(日野自動車の車)が主に使用されていたが、先頃さいたま東営業所のエルガミオ7Mタイプと交換した。
なお旧「国立王子病院前」停留所は病院敷地をはさんで南側の坂下に位置しており、病院現役当時は桐ヶ丘循環の一部が立ち寄るのみであったが、現在は「東京北社会保険病院入口」と称しており、赤02(志村営業所担当)が終日経由している。
[編集] 王子駅~板橋駅線
王子駅と板橋駅の間を帝京大学病院経由で結ぶ路線である。板橋区側の道路がやや狭く、帝京大学病院周辺は一方通行路がある関係から往復とも時計回りのループ線となっている。
この路線はもともと、1952年7月30日に王子駅~金沢橋~板橋駅~金井窪~池袋駅東口を結ぶ路線として開通したものである。これは、前記の赤羽駅~池袋駅線と同じ日の開通であるが、当初は巣鴨営業所が担当した。このうち、王子駅~金沢橋付近は戦前の中仙道乗合やそれ以前の王子乗合時代から続く営業区間である。その後、1970年代に王子駅~板橋駅間に短縮され、平成に入って中央公園~板橋一丁目間が帝京大学病院経由に迂回するルートに変更された。
折り返し線は、現在朝のラッシュ時に十条住宅から王子駅に向けた片道の運行があるのみである。かつては板橋駅~帝京大学病院間を結ぶ板01系統が存在したが、需要の増大による全線通し便の増発のため発展的な解消を遂げた。また、1959年から昭和40年代頃まで、板橋駅~金沢橋間に通学輸送を目的とした便が設けられたこともある。
[編集] 赤羽駅~戸田公園駅線(深夜バス)
- 赤71:赤羽駅西口→北赤羽駅入口→浮間団地→浮間工場街→浮間舟渡駅
- 赤72:赤羽駅西口→北赤羽駅入口→浮間団地→浮間工場街→浮間舟渡駅→戸田公園駅
この路線は、赤羽営業所で唯一後乗り・前払いである。また深夜バスではあるが、一般系統が戸田橋を越え、埼玉県に向かうのは、埼京線開通による廃止以来である。
[編集] 車両
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