博義王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
博義王(ひろよしおう 明治30年(1897年)12月8日-昭和13年(1938年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍大佐。伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第一王子。母は徳川慶喜の九女経子。伏見宮博義王と通称することもある。
子女に、伏見宮第26代当主の博明王、光子女王、章子女王がいる。また、弟に華頂宮博忠王、華頂博信侯爵、伏見博英伯爵がいる。
父博恭王は、明治16年(1883年)、華頂宮を継承したが、後の明治37年(1904年)に伏見宮に復籍。それに伴い、母の経子、妹の恭子女王とともに伏見宮に復籍した。この際華頂宮は、弟の博忠王が継承した。
大正8年(1919年)12月23日、公爵一条実輝の娘一条朝子と結婚。昭和4年(1929年)には、光子女王が誕生。
東京府立四中を経て、当時の皇族の慣例として海軍兵学校入学。海兵第45期で卒業し、海軍将校となる。
昭和13年10月、心臓マヒのために薨去。43歳。父宮よりも早く薨去したため、伏見宮は承継しなかった。
カテゴリ: 1897年生 | 1938年没 | 日本の皇族 | 日本の海軍軍人 | 日本の国会議員 (1890-1947) | 人名関連のスタブ項目